執務中の筆者

 

不利な物理的条件も、人間の努力によって克服しうる

この『ルワンダ中央銀行総裁日記』は、アフリカ中央の小国ルワンダの中央銀行総裁として勤めた6年間の記録である。

ルワンダは今日もなお非常に貧しい国である。しかし私の着任した1965(昭和40)年のルワンダを知っている者にとっては、ルワンダの今日は、当時では到底想像できない、驚異的な発展として映るはずである。そしてルワンダ人は肩を張らず地道に、今後の発展への努力をつづけているのである。

私は、過去は将来への準備以外には意味はなく、過去を語るようになったら、それは将来への意欲を失った時だ、と考えている。そして自分のした仕事について書くことは、自分の進歩の墓標を書くような気がするのである。それにもかかわらず私が中央公論の望月重威、柘植紘一両氏のすすめに従って、この本を書く気になったのは、次のような理由によるのである。

第一は、二年ごとの休暇で帰国した時、および1971年1月末日本銀行に復帰して以来日本の言論にふれ、発展途上国問題、援助問題等について実情を勉強することなく、ただ観念的な思考をもてあそんだ議論が横行していることを発見したからである。

ある評論家は私にルワンダの人口、資源、国民所得、貿易の規模を聞いて、結論としてその国は到底経済的に自立できないと断言した。私はこの評論家の国籍を疑った。明治のはじめ、および終戦直後において欧米諸国では、日本に対して同じような議論が行なわれたのである。資源や国土の広さ等の不利な物理的条件も、人間の努力によって克服しうるということは、日本人ならばたれでも知っているはずである。

自由主義者をもって任ずるこの評論家も、じつは物理的条件の絶対を信じ、人間努力の無限を忘れた唯物主義者だったのである。評論家が勝手な観念論をもてあそぶのは自由である。しかしこの実証にもとづかない観念論を発表することは、真面目に働く者の邪魔をする場合が多く、その罪はきわめて大きいといわなければならない。

ルワンダという小国の経済の発展過程を紹介することは、この意味で有意義と考えたのである。