3月19日放送のNHK NEWS「おはよう日本」で紹介された『ルワンダ中央銀行総裁日記』(著:服部正也 中公新書)。1965年、日本銀行の職員だった服部氏は、独立間もないアフリカ・ルワンダの中央銀行総裁として着任する。混乱のなかにあって、同国の経済を建て直すべく現地の人々と交わりながら奮闘しーー。72年の刊行にもかかわらず、最近SNSでバズり、再び話題の書となっている。今年2月、発行部数一億冊を突破した中公新書を代表するベストセラーとして、同書より一部抜粋・編集して紹介する

未知への旅

聞いたこともないルワンダの中央銀行にゆかないかという話を、国際通貨基金からはじめて受けたのは、昭和39(1964)年9月の通貨基金東京総会の際であった。

そのときは非公式の話であったし、たいして気にもとめなかったが、同年12月30日、通貨基金から正式に日本銀行に、私をルワンダ中央銀行総裁として派遣してほしい、と申入れの電報がきたときは、東京総会の宴会でバリッとした服装の黒アフリカ諸国の代表に混って、モサリ服に襟のすり切れたワイシャツ着用のルワンダ代表に会ったことを思いだし、これはひどいところにゆくことになったと思った。

日本で調べても、ルワンダの事情はなにもわからない。乏しい資料で想像できるのは大変貧乏な国、典型的な発展途上国というだけである。

しかしなんといっても日本銀行員として、小さくても中央銀行の総裁になるのはうれしいことである。またパリ駐在から帰ってから、東南アジア中央銀行職員研修でボンベイ(現・ムンバイ)では指導員、東京では教頭、カラチでは講師と三回参加し、途上国における中央銀行の諸問題と役割についてかなり興味をもっていたが、これに総裁として取組める機会はめったにあるものじゃない。こう考えて引受けることにした。

そのうちに通貨基金その他外国にいる友人から、いろいろと断片的な情報がきた。いずれもひどく貧乏な国で、生活環境が悪いというものである。

家族より一足先にルワンダに出発した筆者(羽田空港) ※写真はすべて『ルワンダ中央銀行総裁日記』(服部正也著 中公新書)より

しかし外国人にとって生活環境がよい途上国は、外国人が特権階級として滞在している場合か、国が豊かでとくに外国人がいなくてもやってゆける場合かであって、生活条件の悪い国こそ、外国人技術援助の意味もあると思っていたし、また、現に人間が住んでいるところなら、自分が生きてゆけないわけはないと思っていたので、知人が心配してくれたわりには、私自身としては、生活環境が悪いという情報は気にならなかった。