毎月最終日曜日の縁日に営んでいる性善寺での護摩祈禱(写真提供:柴谷さん)

母親のスカートをはいた小学生時代

私は1954年、大阪市で3人兄弟の長男として生まれました。小学校の頃から、野球やサッカーなどの「男の子らしい遊び」に興味が持てず、「自分は女性だ」と自認していました。かといって、女の子たちも遊び仲間に入れてくれない。学校の図書室で本ばかり読んでいたので、成績だけは良かったですね。

ある時、母親のワンピースをこっそり着て外を歩いていたら、近所の人から親に密告されてしまいました。父親には「男の子らしくしろ」と殴られて……。60年代、性同一性障害の概念はまだ社会に浸透しておらず、理解者もいません。「なんでスカートはいたらあかんのや」と違和感を覚える毎日でした。

中学では男子生徒は丸坊主が規則で、詰襟の制服もつらかった。高校生になっても、女の子を好きになる感情はまったく湧きません。

悶々とした学生生活を送っていた73年、人気タレントのカルーセル麻紀さんがモロッコで性別適合手術(SRS)を受けたことが話題に。当時は「性転換手術」と言われ、日本では非合法とされていました。私は美しい麻紀さんをうらやましいと思い、憧れを抱いたのです。

自分の気持ちを抑えつけた高校生活を終えると、早稲田大学文学部に進学。親から離れた解放感に浸り、学生紛争で授業がなくなったのを幸いに雀荘や女装クラブ、ゲイバーに通い、そうした店でアルバイトもしました。自分のような性同一障害に苦しむ人たちが意外に多いと知ったけど、セクシャリティのあり方はさまざまで、簡単には馴染めませんでしたね。