2017年9月、和歌山城西の丸広場で行われた「第1回レインボーフェスタ和歌山」での講話(写真提供:柴谷さん)

大学卒業後は大阪に戻り、読売新聞大阪本社に記者として就職。岡山、神戸支局を経て大阪本社経済部に配属され、特ダネ合戦に明け暮れました。人に会って聞いた話を文章にする仕事は性に合っていると感じましたね。

支局では服装も自由でしたが、経済部はしんどかった。関西財界の重鎮に会うので、基本的には背広にネクタイ。当時、私は髪を伸ばしていたのですが、上司に切るように言われました。髪は女の命やのに……。

 

カミングアウトすれば、解雇されるかも

社内では薄々、私のセクシャリティに気づいている仲間もいましたが、当時の新聞社は男社会。カミングアウトすれば解雇されるのではと恐れ、隠し通しました。

仏教との出会いは37歳。労働組合の旅行で和歌山県の西国三十三所の第一番札所、青岸渡寺(せいがんとじ)を訪れた時、お寺で判を押してくれる納経帳を知り、巡礼にハマりました。信仰心からというよりも、純粋にスタンプラリーのようで面白かったのです。

時間を見つけては関西中心の西国巡礼をし、それが終わると今度は四国八十八所の巡礼、いわゆる「お遍路さん」に挑戦したくなりました。最初は車で瀬戸大橋を渡ったりフェリーに乗って渡り巡礼を重ねましたが、次第に「歩きお遍路」に魅力を感じました。

その理由の一つは服装です。お遍路の白装束は男も女も区別がないからです。納経帳が御朱印で真っ赤になるまで通い詰め、後年、巡礼者を案内できる「先達」の資格も取りました。