あこがれの振袖姿で、高野山大学院学位記授与式に出席(写真提供:柴谷さん)

56歳で受けた性別適合手術

2000年代に入ると、性同一性障害に対する世間の理解も次第に変わってきました。非合法とされていた「性転換手術」も98年に合法に。03年には戸籍上の性別変更を認める法律もできました。私の性自認は女性。女性として尼僧になるにはどうしたらよいだろかと考えました。それには僧籍簿の性別変更が要ります。

相談した高野山真言宗の庄野光昭宗務総長(当時)は「真言宗、いや仏教界では初めてやろう。宗議会(宗派の重要な事柄を決める会議)にかけるとうるさくなる」と、うまく取り計らって、事務処理のみで僧籍簿の性別を女性にしてくれたのです。

一方で「残念や」と惜しまれました。高野山は明治時代まで女人禁制で、男尊女卑が根強い社会だからでしょう。博士号を取っても女性は活躍の場が狭まります。今も尼僧は山内住職などの要職に就けず、一部の行事に参加できません。高野山は15年の「開創1200年」の一大行事でも、尼僧は「脇役」でしたね。

私はこれを機に、戸籍の性別変更もしようと決意します。それには、身体も変える必要がある。岡山大学でホルモン治療を続け、56歳で性別適合手術を受け、女性になりました。周囲から「そんな年齢で手術なんか受けなくても」と言われましたが、「やっと自分を偽らずに生きていけるのに、最後まで男として扱われて死ぬのは絶対に嫌」という思いは不変でした。

手術時、父はすでに他界していましたが、母には「親不孝者」となじられました。でも、ホテルや旅館で女風呂に入れることが一番嬉しかった。それまではどこに行っても、部屋風呂にしか入れませんでしたから。