震災後、瓦礫の中からボロボロの納経帳が
95年1月17日、午前5時46分に発生した最大震度7の阪神・淡路大震災が、当時41歳の柴谷さんの生き方を大きく変えた。
たまたま寝屋川市の実家に帰っていた時、轟音と激震で飛び起きました。すぐに大阪本社に出社し、連日、会社に泊まり込みで仕事。神戸市東灘区にある自宅を案じていましたが、1週間ほどは帰ることができませんでした。
「電気が復旧する」と聞き、火事を心配し会社の車で駆けつけたら、家は完全に崩壊し、周囲の建物もすべてぺしゃんこです。顔馴染みの女性が泣きながらやってきて、「あんた、生きとったんや。どこ捜してもおらんから行方不明になっとると思ってたわ」と無事を喜んでくれました。近くでは阪神高速道路が横倒しになり、町内では50人以上が落命しました。
3ヵ月後に自宅を再訪した時、瓦礫を掘っているとボロボロの納経帳が見つかって。その瞬間、体に電気が走りました。あの日の朝、自宅にいたら間違いなく死んでいた。納経帳が身代わりになり、お大師様(弘法大師)が命を守ってくれたと思いました。
その時、もう「偽りの人生」と決別し、自分らしく生きようと決めたのです。納経帳は京都の表具店で修繕してもらいました。修繕費は新品を買うよりずっと高かったけれど、宝、いや、命ですから。
03年、お遍路仲間の勧めで高野山大学の大学院の社会人コースに入学。私はお寺の子たちには当たり前の知識も全然知らず、苦労しました。新聞社の仕事も続けていたのですが、記者をしながら大学に通うことを疎ましがる上司もいて居づらくなり、51歳で退社しました。1000万円以上あった年収が消え、貧乏になりましたよ。
博士号を目指しながら、「得度(とくど)」(出家)しました。本格的に密教を研究するには、得度しないと選択できない科目もあったからです。俗世と完全に遮断するため携帯電話も取り上げられ、「四度加行(しどけぎょう)」という厳しい修行で体重を16キロも減らして成満(じょうまん)。05年に男性の僧侶として僧籍を取りました。