「長女が食事をするのをいやがっただけで、「何しよんねッ!」と母が激怒。娘の姿に子ども時代の自分が重なって、胸が苦しくなりました。「お願いだから帰ってください」と土下座して、実質追い出したんです」(植本さん)

「この家から早く出なければ、私の精神は死ぬ」

信田 お母さんと植本さんの関係がここまでこじれていることを、お父さんはどう思っていたのかしら。

植本 気づいていなかったと思います。家族にまったく関心がないんですよね。空気みたいな人で、すべて馬耳東風。

信田 どんな人なのか、想像できました。支配的な母親がいる場合、父親は影が薄いことが多いですから。

植本 たぶん、父も被害者なんだと思います。母と顔を合わせるのがいやで防音のオーディオルームを作り、そこにずっと籠もっていましたから。物心ついたときから、両親が仲良く会話している姿を見た記憶がありませんね。

信田 冷え切った関係だったんですね。ごきょうだいは?

植本 9歳上の兄がいます。兄は高校の頃わかりやすくグレて(笑)、卒業したらさっさと家を出ていった。そこからは、母の暴風を私一人で受けてきた感じです。母は街から田舎に嫁いできたので、不満や愚痴を言える友人も周りにいなかったのかもしれません。

信田 閉塞感が相当あったでしょうね。お母さまは、戦後の民主主義教育を受けている世代。女性もどんどん社会に出ていける、と夢を吹き込まれたものの、現実世界はまったく変わっていなかった。とくに地方の女性は古い価値観でがんじがらめにされていましたから、結婚したら舅姑に仕えるのが当然でしたし、たとえ働いていても自由は少なかった。

植本 私が小さい頃は、母も働いていたので、私は父方の祖母に育てられたようなもの。でも、母と祖母も折り合いが悪くて。子どもの目の前でもお構いなしに喧嘩するし、それぞれがお互いの悪口を私に吹き込んでくる。しんどかったです。

信田 家族がお互いを憎んだりんだりしているところに、まともな感受性の持ち主は平常心でいられないものです。想像の世界に羽ばたくなどして逃げ道を作らないと、いずれメンタルがやられてしまいますから。

植本 私も中学の頃から、「この家から早く出なければ、私の精神は死ぬ」という思いを持っていました。だから高校を出て、すぐに上京したんです。