街と人の属性は切っても切り離せない

私たちには、移動や居住の自由がある。誰がどこに住んでも構わない。しかし、家族の構成パターンごとに住みやすさは異なる。結果、同じ穴の狢が自然と集まってくるのだ。街と人の属性は切っても切り離せない。

引っ越す前に住んでいた街は、明らかにファミリー向けだった。学校が多く、広い公園もあった。土日に小一時間外出すれば、何十人もの子どもとすれ違う。当時は二人暮らしだったのでさほど気にならなかったが、いまあの街にひとりで住めるかと尋ねられたら、私は静かに首を横に振る。自分だけが場違いな気がして、いたたまれなくなってしまうだろう。

いま住んでいる街は、言うなれば働く女の野営地。平日は遮二無二働いて、土日は自分だけの時間を満喫したり、友人と出掛けたりする。

こういう街が、今後は増えていくだろう。2020年の生涯未婚率は男性26・7%、女性17・5%。東京都に限って言えば、男性人口約690万人のうち約180万人、女性約710万人のうち約160万人が独身なのだ。私の住む街だけでは、とても収容できない。

セグリゲーション(居住分離)を推奨する意図はないが、万人のニーズが一致するわけもないのだから、なんでもかんでも混ぜればいいとも思えない。近頃は包括と均一化が同義に語られがちだが、公平であるべきはインフラやさまざまな機会であって、嗜好ではない。

問題は、高齢になった時に住みやすそうな街が思い浮かばないこと。80歳を過ぎた自分が、なにを欲するか見当もつかない。もしかしたら、子どもを巣立たせ配偶者に先立たれた女たちと合流し、同じ街で肩を寄せ合い助け合って暮らすのかもしれない。それはそれで、待ち遠しくもある。


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年齢を重ねただけで、誰もがしなやかな大人の女になれるわけじゃない。思ってた未来とは違うけど、これはこれで、いい感じ。「私の私による私のためのオバさん宣言」「ありもの恨み」……疲れた心にじんわりしみるエッセイ66篇