「なぜ、白米じゃないの!」とわめき散らす三十路女。騒ぎを聞きつけた義理の息子がやってきて、「僕は十穀米も好きだから全然いいですよー」とフォローしてくれる。だが、私をかばったことでよけいに娘の怒りを買ってしまった。
その後、一通り怒りをぶつけ終えた娘が、ぶつぶつ言いながら副菜を作っている姿に、また自分の母を思い出して苦い気持ちになる。いや、私のこのずぼらな性格は、親への反発心からくるものかもしれない。
義理の息子はよき理解者
現在、娘は断捨離にはまっている。しかも、風水を取り入れて部屋を整える徹底ぶり。おかげで、わが家はいつもキレイなのだけど、モノを床に置きっぱなしにしたり、脱いだ服を椅子にかけておいたりしたら、「お母さん、これ放っておかないで、すぐに片づけてよ」と、お小言が始まる。
ダイニングテーブルに、食事と関係ないハガキや新聞を出しておいただけでられる。誰も見てないのだからいいじゃないの! 私なんて、鼻をかんだティッシュをまるめて机の上に置いておいても気にならないのだが、言い返してバトルをする気力もないから従う。こんなに家事にたくさんルールを作って、生きづらくないのだろうか。
娘とはそもそも食の好みも異なる。おやつに人気店の鯛焼きを買ってきても、「なんであんこばかり買ってくるの」とクレームをつけてくる始末。娘はあんこより、クリームが好きなのだ。最近の言葉でいうなら、「ハンパないくらい」合わない。
一方、義理の息子は私のよき理解者だ。味覚もテレビ番組の好みも合うし、気をつかわず話せるうえに、親子バトルの仲裁もしてくれる。もしかしたら、気の合わない娘が私にくれた一番のギフトは、この義理の息子なのではないかとさえ思えるのだ。
そんな娘夫婦との生活も、そう遠くないうちに、義理の息子が転勤を命じられたら解消となる。だから娘と一緒に台所に立つときの小競り合いは、毎日のルーティンと割り切ろう。それすら家事の一部と思って、楽しんでやっていくつもりだ。