『ウィーン近郊』著◎黒川創(新潮社)

様々な要素が絡みあった物語の先で

二十代で故国を出て四半世紀をウィーンで暮らしてきた兄の優介が、予定された帰国便に搭乗せず長く暮らしたアパートで自死する。事後処理のため同地を訪れた妹の奈緒は現地の人々の助力を得つつ、その死の真相に迫っていく。そうしたミステリー風の筋立てをもつこの作品は「家族」と「国家」をめぐる物語でもある。

うつ病とアトピーに苦しみ、故国では安らぎの場を見いだせなかった優介は、ここで年長のパートナー、ユリと暮らしていた。日本人とブルガリア人との間に生まれたユリは、この都市のコスモポリタン的性格を象徴する人物であり、彼女を失ったことが優介を帰国ではなく自死へと駆り立てたのだ、と奈緒は理解するようになる。

この小説は優介の来歴を軸に進むが、その跡を追う奈緒自身の物語でもある。彼女は特別養子縁組によって得た幼い子どもを連れてウィーンに赴くが、パートナーとはすでに別れている。血のつながらない者同士の結びつきをかけがえのないものとして生きていく点で、兄妹には似たところがある。

兄の消息をたどる奈緒の視点だけでなく、物語は現地で彼女をサポートする在オーストリア日本大使館領事・久保寺の視点からも語られる。久保寺は優介の死をめぐる報告書を取りまとめるうちに、ソポクレスのギリシア悲劇『アンティゴネ』とブレヒト脚色によるその上演、グリーンの『第三の男』とオーソン・ウェルズによるその映画、この都市に深いかかわりをもつ画家エゴン・シーレなど、さまざまな文物を思い起こす。

なかでも第二次大戦後、連合国に分割統治されたこの都市を舞台とする『第三の男』とのかかわりは本作の根幹をなす。読み終えたとき、この小説がコロナ禍のなかで書かれた意味を読者は深く理解することだろう。