心配したって、お金が増えるわけじゃない

だから病気になっても、頼れるのは国民健康保険だけ。62歳のとき「顕微鏡的多発血管炎」にかかって、4ヵ月入院したことがあります。さらに病院にいる間に狭心症が発覚し、軽度の慢性腎不全とカリニ肺炎になった。治療費はそれまでの稼ぎで払えたけど、4ヵ月間、短い原稿しか書けなかったから、退院後しばらくは返済がしんどかったですね。

当時、非常に印象に残っていることがあるんです。退院して1ヵ月後のこと。自宅にいたら、いままで経験したことのない強い揺れに見舞われました。東日本大震災だったんです。だけど私は、頭も体もフラフラで、心配も不安も感じなかった。ぼんやりしたまま、「今日もリハビリの散歩をしなきゃ」と思って外へ出かけたら、大通りを人がぞろぞろ歩いてきて、「遠足かなあ」って(笑)。それくらい、危機意識がまったくなかったんですよ。

後日、主治医に「人間、ギリギリの状態にあると心配も不安も感じなくなるんじゃないか」と話したら、「そうかもしれない」と言われました。お金に関しても、私みたいに「今月は払えるか、来月は大丈夫か」って自転車操業を繰り返していると、あんまり先のことは考えなくなる。もともと「ある」お金が減っていく心配と、最初から「ない」お金を何とか稼がなきゃっていう心配は、根本的に質が違う。逆にいえば、ないほうが楽天的になれるかもしれませんよね。心配したって、お金が増えるわけじゃないんだもん。

ローンを抱えていなかったら私が5億円の資産を残せたかといえば、たぶん無理だったでしょうね。若いころの私は考えすぎて筆が進まないことが多かったけれど、借金を返すには「考える暇があったらとにかく書け」と自分に言い聞かせて仕事をしなきゃいけなかった。追いつめられていなかったら、こんな多作な作家にはならなかったと思いますよ。

それに私はもともと、お金があったらあるだけ使っちゃう性格だから。それがローン貧乏で消費経済から遠ざかってきたおかげで、お金を使わなくても平気になった。今日着ているシャツは5年前に買った中国製だけど、タンスには昭和の時代に作られたシャツがまだ何枚もあります。小まめに手入れしながら着て、繊維が弱ってビリッときたら、やっと新しいのを買う。

若いときは肌の新陳代謝が活発だから生地も早く傷むし、流行に乗らなきゃいけないという心理もあるから、服の寿命もせいぜい2年でしょう。だけど年取ってくると、10年は軽く持っちゃう。逆に、慣れた物を新しくすることが嫌っていうか、面倒くさいんだよね。昨日も今日も、同じような服を着ていると安心できる。だから服を買うときも、気に入った物を3〜4着まとめて買って、ローテーションします。

貧乏だと、「貧乏に見られる」ことが心理的ストレスになるという人もいるでしょう。ただ私みたいな年寄りは、スーパーの衣料品売り場で売っているような地味な格好をしていれば、それなりに似合っちゃうじゃない。逆に年寄りが、ギラギラしたブランド物で身を固めているほうが無残な感じがしません?