考えるべきは、せいぜい今日と明日くらい
それに、このまま自分が年取ったときの頭の中を想像してみたかったんです。雑誌に連載中は、書き終えて1週間くらい「オレ本当はいくつだっけ?」と混乱するほど小説に入り込んでしまって、抜け出すのに苦労しました。おかげで自分でも呆れるくらい、98歳なりの「難しいことは極力考えない」思考が再現できたように思います。
もともと私は物事を深く考えるたちではないのですが、年を取って、ますますいい具合に力が抜けてきましたね。年取ったらもう、がんばらなくていいじゃんって思う。
葛飾北斎という画家がいますよね。80歳を過ぎても次々と画風を変え、90歳で死ぬ間際にも「あと5年寿命があったら」と悔しがった。でも、年取ってからの北斎の絵って、何かうるさくて私は好きになれないんです。「意地でも上手く描いてやろう」という、老人特有の抵抗心みたいなのが感じられて。
私が好きなのは、『冨嶽三十六景』のころの北斎です。若いころからの経験と、絵師としての自信がいい具合に合わさって、見ていても気持ちがいい感じに力が抜けている。あのとき北斎はちょうど、70歳前後なんですよね。
体調のこともあって、このところは一日のうち原稿を書くのは4時間くらい。それで新聞の連載を、一日一話ずつ書き進めています。この先どうなるかまったく考えず、「そうか、こういうことも起こるのか」と自分でも面白がりながら書いています。人生もたぶんそんなものですよね。考えるべきは、せいぜい今日と明日くらいで、その先のことまで思い悩んでもロクなことはない。ゆるゆると成り行き任せで生きていきたいと思います。