長生きがめでたい? そんなわけねーだろ!

そうやって意図的に年寄りのスタイルを追求していくのも、私は大事だと思っています。というのもいまの世の中で、人は自分が年寄りだとなかなか自覚できない。何でもメンタルの問題で片づけようとして、「元気で若々しく」「大きく腕を振って歩こう」とか言うけれど、確実に体も頭も衰えているんだから。そのギャップが大きいほど、みっともない年寄りになる危険があると思うんです。

特に女の人の場合、お化粧で顔を塗るからねえ。私は30歳のころに仕事で化粧をしてもらったことがあって、そのときの違和感がいまでも忘れられないんです。化粧した顔は自分の顔じゃないと思っていると、化粧が浮いて見えちゃう。

女の人は毎日これをやってると、そのうち自分のほんとの年齢だってわからなくなるかもしれないね。シミができれば隠し、ハリを失ったらコラーゲン飲んで。何とか老いを遠ざけながら、「年齢に追いついたらどうしよう」とつねに不安なわけでしょう。大変だよね。

男の人では、“キレるじいさん”というのが典型でしょうか。「男は偉い」「じいさんは尊敬されるべき」という時代はとっくに終わっているのに、本人だけがヒマラヤのように高いプライドを抱えたまま孤立している。そうして「どうしてオレを敬わない」「なぜ言うことを聞かない」と周囲に当たり散らしているんですよ。これも結局、会社でバリバリ働いてきた自分と、現状の老いた自分の摺り合わせがうまくできていない結果だと思うんです。

だけど、そうやってジタバタするのも、ある意味仕方がないのかもしれない。だって、誰もが「自分の老い」に対してアマチュアなんだから。

自分の頭の中には若いときの経験しかなく、以前はこうだったからと思っても、体も頭も、世間からの扱いも以前とは変わっているから、経験のモノサシが役に立たない。それが現代での「老いる」なんです。

また、老いというのは人生の結果だから、人によって表れ方がまったく違う。それはもう、残酷なくらい個性が出ます。健康面だけでいっても、100歳でぴんぴん元気な人もいれば、私みたいに70歳手前で難病抱えてひーひー言ってる人間もいる。だから何歳になったらこうなるというアベレージ(平均値)もないし、他人の老いも参考にならない。

もうすぐ出る小説で、98歳になった自分が登場する30年後の日本を舞台にした物語を書きました。東京が大地震で壊滅状態になり、地方の仮設住宅で寝たり起きたりしている「私」が、延々と世の中への悪口だのグチだのを書き連ねるというスタイルの小説なんだけど。(笑)

貯金もなく、乏しい年金とわずかな原稿料で生きながらえている設定だから、主人公は相当リアルに悲惨なじいさんなんですよ。なんでこんな小説を書こうと思ったかというと、「長生きおめでとうございます」っていう世の中の風潮に対して、「そんなわけねーだろ」と言いたかったから。