世間からゴシップの主人公と見られていた女優は、見事な復活を果たした。その後も、テレビではNHK大河ドラマ『太閤記』(1965)の秀吉の母役で存在感を示し、映画では溝口健二の『近松物語』(1954)、小津安二郎の『小早川家の秋』(1961)、豊田四郎の『夫婦善哉』(1955)など名作と言われる作品に次々出演した。
あの女と一緒にいるあいだは…
一方、元夫・渋谷天外も喜劇役者として、そして脚本家・館直志(たてなおし)として活躍を続けていた。座談会が行われた昭和36年当時の関係はどうだったのだろうか。
「いまは向うから、一緒に仕事をしようということを絶えず言うてきてくれはるのですけど、私を捨てた時のあの女と一緒にいるあいだは、絶対あなたとは仕事をしませんと断っているのです」(「上方おんな愛憎廻り舞台」)
ところが、この座談会の少し前、いろいろな義理からテレビにいっしょに出ることになった。その時の感想がいい。
「夢に出てくるほうがようおます。がっかりしました。(笑)夢で逢っている人はきれいなんですから。(略)わたくし、この人のこと思うてもいないのに、どうして夢を見るのか思うほど、ひどい目にあわされている夢ばかり見るのです。それがたいへんいい男なんです」(同上)
座談会の相手の菊田一夫が「フロイトでいけば、やっぱり浪花さん惚れている」と指摘すると、「そうなんです」と答える千栄子。
森光子が「わたしたちの苦労は、けっして無駄にはなりませんですね」というと、菊田も「あなた(千栄子)はたしかに芝居がうまい。そのうまさというものは、逆にいうと、それだけ苦労させられたというか、舞台で自分を鍛えるということがあったわけね。その意味でいったら、あの人は恩人だと思うな」と。
すると、千栄子はいう。
「わたくしも、よう捨てていただいたと思います」