朝ドラ『てるてる家族』の家で育って
僕は子どもの頃の父親の記憶があまりありません。というのも、父は自分の兄の借金を何億円も肩代わりさせられ、家には借金取りが押しかけてくる。こんな環境で子どもを育てるわけにはいかないと、大阪にある母の実家に預けられていたんです。NHKの朝ドラ『てるてる家族』の主人公一家のモデルになった池田市の家です。
父が仕事で大阪に来るとき、ちらっと会う機会があったようで、記憶に残っているのが伊丹空港でのシーン。祖父が「お父ちゃん迎えに行くで」と僕を連れて行ってくれたのですが、現れたのはレイバンのサングラスをかけ、長髪でパンタロンみたいなズボンをはいた男の人。ハスに構えて「おぉ、康夫」と言われたのですが、僕は「怖いオッチャンや」と思い、祖父の足にしがみついていました。
父と一緒に暮らし始めたのは、小学校3年のときです。僕としてはそれまで会えなかったぶん、遊んでもらいたいわけです。ところが父は家にいても、ソファに寝っ転がって、怖い顔をして考え事をしている。
その頃から作詩だけではなく脚本なども書き、後に小説も手掛けるようになりますが、ずーっと考えていて、書くときは一気に書くというタイプ。だから母親から「お父さんは仕事中だから」と、話しかけるのを止められても、「オトナはいいなぁ、ソファで寝ているのも仕事か」と思っていました。
家の中でもきちんとしていて、パジャマでうろうろしているところなど見たことがありません。部屋着で過ごし、寝る直前に自室でパジャマに着替える。正直、怖かったですね。
たまにキャッチボールをしてくれましたが、子ども相手に剛速球を投げてくる。僕が避けようとすると、「避けるな!」。夏、軽井沢の別荘に行くとき僕が車酔いすると「酔わないと思ったら酔わねぇんだ。だから酔わないと思え!」。あまりの恐怖に、酔ったと言えなくなった。
花粉症も、「気合いで治る」とか言っていました。でも後に自分も花粉症になり、根性では治らないと悟ったみたいですが。(笑)