取材時に身につけていたネクタイとピンバッジは、父の形見。ピンバッジは、なかにしさんが美空ひばりさんから贈られたもの

夫婦でがんと闘って

両親の関係は、子どもの目から見て、ちょっと変わっていました。母は19歳で父と結婚し、芸能界を引退。つきあっていたときから含めると50年、全人生を父に捧げ、常になかにし礼ファースト。セカンドもサードもないんです。

父は潔癖なところがあるので、シーツもパジャマも毎日取り換えないと気が済まない。また、他人を家に入れるのを好まないため、母は家事だけでも大変だったと思います。しかもとんでもなくモテる男ですから――。

がんを患ってからは、夫婦の絆がいっそう強まったように感じます。『婦人公論』でも、以前、宮城谷昌光さんとの対談で「結婚は最高」とか「今や女房はよき友であり、戦友であり、きょうだいであり、ときに母親であり、共犯者でもある」と語っていますが、見ている限り、母の頑張りがあったからだと思います。

治療方法も父と母が必死でいろいろ調べ、当時最先端だった陽子線治療を選びました。子どもはおろか誰にも相談しなかったのは、とにかく、自分の決めたことのみを信じていたからかも……。

やはり原体験として、生まれ育った旧満洲のことがある。守ってくれると思っていた関東軍はさっさと日本に引き揚げ、自分たちは国家から捨てられた。極限状態のなかで人間の嫌な面も見ただろうし、実の兄からも辛酸をなめさせられた。本当に信頼していたのは、結局母だけだったのかもしれません。