《なかにし礼》の印象を残したまま
父は作詩をする際も、人に媚びを売ったり何かを忖度する作り方は一切しませんでした。僕は音楽プロデューサーもしているので、「今どういうものが支持されるか」という発想をします。でも父は、決して「これが受けそうだ」という作り方をしなかった。それでいて一時代を作ったのですから、やはり偉大だと思います。
今の時代なら社会的に許されない歌詞も多いですね。僕が幼稚園の頃、意味もわからず「時には娼婦のように」を歌ったら、先生が困ったような顔をしていました(笑)。それにかつては浮気も大目に見られたけど、今は世間の目が厳しい。
そう考えると、歌謡曲全盛期にあれだけの仕事をし、存分に自由を謳歌できたのですから、幸せな人生だったのではないでしょうか。ただこの1年、新型コロナウイルスのせいで、思うように外出できなかったのは気の毒でした。とくに夜の銀座は、父にとってオアシスでしたから。
心配なのは母です。今69歳ですが、「趣味・なかにし礼」みたいな人なので、これからどうするのか。僕の家も妹家族の家も徒歩圏内なので、なるべく行くようにはしたいのですが……。
大阪の伯母が、いしだあゆみさんと母と僕と「3人で一緒に住んで、支え合ったらえぇやん」と言うから、「それはちょっと勘弁です」と答えました。2人に言ったら、2人とも「いや~っ」。どちらもマイペースですからね。
父は82歳になっても、危険な香りがするカッコいい男でした。家族写真では珍しく柔和な顔をしていますが、外では常に眼光鋭く、色気があった。ギリギリまで現役で仕事をして、本名の中西禮三ではなく《なかにし礼》の印象を残したまますっといなくなったわけですから……。たぶん願った通りの最期だったと思います。