個性の強さから学校で問題児扱いされるような子どもたちを集め、彼らに自由な発想と学びの場を提供することを目指した教育が、東京大学にて行われています。ディレクターを務める中邑賢龍教授が「みんなと違う子だから治療する、という考え方は危険すぎる」と警告する理由とは?

※本稿は、中邑賢龍『どの子も違う――才能を伸ばす子育て 潰す子育て』(中公新書ラクレ)の一部を再編集したものです。

たくさん届く相談メールを前にして

毎日、さまざまな人から子育てについての相談メールが私のところに届きます。

自分の気に入らないことには感情を剥き出しにして抵抗する子、苦手なことに関して心を閉ざし、貝のようになってしまう子など、少し読んだだけで、見守る家族のご心労がひしひしと伝わってきます。

ここで見方を変えてみましょう。私からすれば、それらの子どもたちは、みな人間らしいとも言えます。親の苦悩を感じつつも、実際、その行動のユニークさや豊かさには、思わず頬が緩むこともしばしば。

しかし、だからといって、現状の学校や社会は必ずしもそんな彼らに優しいわけではなく、「集団に馴染めない=困ったこと」と一元的に捉え、彼らに特別な教育や指導を受けるように求めています。

実際、それが機能する子どももいるでしょう。しかし、その教育や指導に苦しみ、闘う子も少なからず存在します。

なぜ、子どものことをしっかり考えているはずの学校や社会が、結果として彼らにとっての《壁》になってしまうのでしょうか? 以下いくつかの事例を紹介しながら、彼らの行動の本質について考えてみたいと思います。