老いには二つの勇気が必要

四季の情景を感じることは、私の趣味の写真俳句作りに役立っている。散歩の最中に俳句を詠む。歩きながらメモを取ると書き切れないこともあるので、ICレコーダーに吹き込む。そして、句材、句境になりそうな予感が走った情景を、デジタルカメラで撮る。

老人性うつと認知症と診断された後の苦悩の日々を綴った『老いの意味』森村誠一 中公新書ラクレ

俳句と写真を連動させた写真俳句は、文字が並んでいるだけの俳句に比べると、情報量が圧倒的に多い。色が見えるだけでなく、音や匂いまでするような気がする。

点のような源を拡大していく小説に対し、俳句はイメージを17文字に凝縮させなければならない。俳句の凝縮は小説の世界の対極にある。拡大に慣れた小説に凝縮の技法は強い武器になる。それと写真という異なった表現が、私の認知症のリフレッシュに、とても役立っている。

また、散歩のコースに、かかりつけの医院を入れた。内科、整形外科、眼科、皮膚科、歯科、薬局などの前をわざと通る。通りすがりに待合室を覗いて、空いているようだったら、すぐに診てもらう。混んでいたら素通りする。病院にいちいち出かけるのは億劫(おっくう)なものだし、時間もかからないので、まさに一挙両得である。おかげで、身体のチェックもできて即席の人間ドックだ。

歳を重ねて、老いには二つの勇気が必要だということがわかった。老人になると思いがけない病気もするし、私生活で悩んだりもする。そんな予想外の出来事の危機に立ち向かうための勇気である。

もう一つは夢を抱くための勇気である。人生とは夢を持つことだ。何歳になっても夢は持てるし、小さな夢でも生きがいに繋がる。生きがいが孫の成長であったり、庭木に咲いた花や散歩の途中で出会った桜の花の変化を楽しんだり、我が家に来る野良猫の姿であったりしてもいいと思う。

生きがいとは、これからの夢である。だから小さな生きがいでも、本人にとっては老いの希望に繋がるのである。