夫婦はフィフティ・フィフティで

3人の息子たちの世話で手いっぱいなときも、仕事をやめようとは思いませんでした。それは、やっぱりこの仕事が私にとって天職だったからだと思います。

『ドラマスタイリストという仕事』西ゆり子 光文社

もちろん、第一子を出産したときは、しばらく仕事を休むつもりでした。でも1ヵ月ほど経ったとき、「退屈しているんじゃない?」と声をかけられて。なしくずしで復帰したら、意外とできてしまった(笑)。それで自信がついたので、2人目、3人目を産んでも仕事はほとんど休みませんでした。

水面下で、多少バタバタと足を動かして水をかいたような気もします。いまみたいに手軽にスマホで撮影できない時代ですから、衣装の記録はすべて手書き。自分で絵を描いて、素材や価格などの情報にも間違いがないようにしないといけないので、「ああ、まだやりたいのに、もう保育園のお迎えの時間……」ということはいくらでもありました。

この世代で、出産後も仕事を続けられた女性は、そう多くなかったと思います。家事も育児も、いい意味で《いい加減》にできたのは、映像カメラマンをしていた夫が「夫婦はフィフティ・フィフティで」という考えの人だったから。「仕事をやめて」と言われたこともなかったし、私が仕事で遅くなるときは、夫が子どもたちをお風呂に入れて、夕飯もつくってくれました。私が今日まで好きな仕事を続けることができたのは、そんな夫のおかげ。感謝しています。

ただ、「仕事か家庭か」で悩まなかったのは、私にとってどちらも欠かせないものだったからです。どちらのほうが大切、なんて考え方は不自然じゃないですか。やりたいことがあるなら、どちらも楽しく、さらっとやってのけたほうがかっこいい(笑)。そういう私なりの美意識みたいなものはあったような気がします。