「楢山節考」を改めて読むと
「楢山節考」は、ギタリストだった深沢七郎さんが小説家としてデビューした作品で、第1回中央公論新人賞を受賞しています。山深い貧しい村が舞台で、そこに住むもうすぐ70になるおりんと、孝行息子の辰平の物語です。
この村では口減らしのために、70になった年寄りを楢山に捨てに行く因習があります。それを楢山まいりと呼んでいて、おりんが辰平に背負われて楢山まいりに行くところがクライマックスの小説です。
「楢山節考」はだいぶ前に読んで悲惨な小説だと思ったのですが、今回改めて読むと、何だか清々しく感じられたのでした。口減らしで山に捨てられるということは残酷なことなのに、おりんはそれを当たり前のように受け入れ、そのための準備をし、まるでその日がくるのを待ちかねているようにも思えるのです。
医療技術などの発達で「100歳まで生きられる時代」と言われるようになって、誰もが欲を出し、少しでも長く生きたいと思うようになっているからこそ、おりんの楢山まいりが清々しいように感じられるのかもしれません。
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おりんはずっと前から楢山まいりに行く気構えをしていたのであった。行くときの振舞酒も準備しなければならないし、山へ行って坐る筵などは三年も前から作っておいたのである。やもめになった辰平の後妻のこともきめてしまわなければならないその支度だったが、振舞酒も、筵も、嫁のことも片づいてしまったが、もう一つすませなければならないことがあった。(「楢山節考」)
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それは歯を砕くことでした。おりんは若い時から歯が自慢で、とうもろこしの乾したのでもバリバリ噛み砕いて食べられるぐらいの良い歯でした。おりんのぎっしり揃っている歯はいかにも食うことには退(ひ)けをとらないようであり、何んでも食べられるというように思われて、食料の乏しいその村では恥ずかしいことだったのです。