魂が西の空に飛んで行く

複雑な「死」の時代

おりんの「死」に比べて、現代の「死」は複雑です。自宅で老衰によって亡くなる人より、病院で亡くなる人のほうが多くなり、「死」は治療によって先延ばしされ、そのぶん苦痛を伴うようになりました。意識がなくなっても、心臓が動いていれば生命は維持されます。生かされ続けることが幸せなのかどうかもわからない、死にたくても死ねない、複雑な「死」の時代になりました。

吉村昭さんが、肺癌で苦しい闘病の末に亡くなった弟のことを書いた、長編小説『冷い夏、熱い夏』(新潮文庫)を読みました。

吉村さんは八男で、2つ下の弟がいます。兄達とは年が離れていることもあって、弟とは仲が良く、吉村さんの奥様である作家の津村節子さんが、2人のことを一卵性双生児とからかうほど仲が良かったそうです。その弟の肺に癌が見つかったのは、胃のX線透視をうけたついでに肺のX線透視もうけてみたからです。すると、肺の左側にピンポン玉のような白い影があったので、癌専門の病院へ診察に行ったら、肺に腫瘍があるから2週間以内に入院して手術するように言われます。

「だめだよもう」と投げやりな口調で電話してくる弟に、「精密検査をしなければ、わかるわけないじゃないか」と言う「私」(この小説の主人公)は、のちにそれが重症の癌だということを、医師から聞くことになります。

そして、弟には絶対最後まで癌を隠し通す決心をします。そのためには、医療関係者や親族にも協力を得なければならないし、自分自身をも騙さないといけません。自分の日記にまで「良性の腫瘍だった」と嘘を書いて偽造します。

『冷い夏、熱い夏』は、1984年7月に新潮社から出版されています。弟は1981年8月に亡くなっているので、その間に書かれた小説です。その時代はまだ癌は不治の病で、本人には告知しないことが多かったのかもしれませんが、「そこまでして」と思うほど隠し通すのです。