死ぬ時を自分で決めている
津村節子さんの小説『紅梅』(文春文庫)を読むと、「葬儀を終えたあと、夫は離れの書斎に籠り、近所に聞えるほど大きな声をあげて泣き続けた。弟の手術から一年間、暑い夏が終ったが、年末まで夫の体調はもどらなかった。」と書いています。弟に嘘をつき通すことは、どれだけ辛かったことでしょうか。
その吉村さんも、2005年1月に舌癌を告知され、それが完全に取り切れないまま膵臓癌も発見され、膵臓全摘出の手術をうけます。そのことは、親戚にも知らせなかったので、亡くなった時はみんなが愕然としたそうです。
吉村さんは入院していた病院を出て、自宅療養していました。地元のクリニックとの連携で、点滴と首の下に挿入したカテーテルから数種の薬液を注入して治療していましたが、ある時、自ら点滴の菅のつなぎ目をはずし、次にカテーテルを引き抜いてしまい、「もう、死ぬ」と言ったそうです。
このことは、吉村昭さんの遺稿である「死顔」が入っている短編集『死顔』の最後に、津村節子さんが「遺作について――後書きに代えて」と題して書いています。また、津村さんの小説『紅梅』には、弟の葬式を終えてから亡くなるまでの吉村さんのことが書かれています。吉村さんも癌の治療で苦しい思いをして、それを誰にも知られることなく死んで行ったのです。
最後に自分でカテーテルを引き抜いたということは、「楢山節考」のおりんとオーバーラップするところがあります。死に対する気構えが出来ていて、死ぬ時を自分で決めているところが共通します。自殺に似た行為ですが、自殺とは根本的に違うことです。
死ににくくなった今日において、どう死ねばいいのかよくわかりませんが、『冷い夏、熱い夏』や『紅梅』を読んで、苦しんで死ぬのは嫌だなぁと思いました。そんな時、「安楽死」という言葉がちらちら頭をかすめるのですが、そのことはまたいつか書こうと思っています。
※次回配信は7月15日(木)の予定です