『冷い夏、熱い夏』(吉村昭:著)

著者は、この小説のなかで、知り合いの医師に自分の考えを話す形を取り、次のように言っています。

 欧米では、患者に癌であることをつたえ、残された時間を有効に過させようとする傾向があると言われ、それが新聞、雑誌に紹介されている。日本でもそれに賛同する医師がいて、かくし通すのは時代遅れだという談話ものせられている。
 そのような意見に私が反撥を感じるのは、かれらが、欧米人と日本人とを同一視するという誤りをおかしていると思うからであった。
(略)
 欧米で患者に癌であることをつたえる風潮があるからと言って、日本人にもそれを適用することは当を得ていない。死病に近い癌という病名をつたえれば、患者は激しい精神的衝撃をうける。それより事実をあくまでもかくし通して死を迎えさせる方が好ましいのではないだろうか。それを情緒的だと言われれば、それでもいい。私たち日本人の身にしみついたものであるのだから、仕方がない。(『冷い夏、熱い夏』)

しかし、症状が急激に悪くなっていく弟は、本当に自分は癌でないと思っていたのでしょうか。嘘だということがわかっていて、わかっていない演技をしていたのかもしれません。そうだとすると非常にややこしい小説です。