愛猫のねず美ちゃん18歳。人間の歳で言えば88歳(写真提供:末井さん)
編集者で作家、そしてサックスプレイヤー、複数の顔を持つ末井昭さんが、72歳の今、コロナ禍中で「死」について考える連載「100歳まで生きてどうするんですか?」。「死」を思うと、脳裏に現れるのは母、義母、父の死にざまで……

第3回●「きっかけは先物取引大暴落の魂抜け現象。ギャンブルは死の疑似体験だ」

何か恐ろしい光景を見ているようで

人が死ぬということを知ったのは5歳の頃でした。

ぼくが生まれたのは、岡山県の吉永町という所の山奥の村でした。母親は、ぼくが3歳の時に弟を産み、肺結核が悪化して町の病院へ入院しました。父親は板屋という所にあった鉱山へオートバイで通っていて、祖母がぼくと弟の母親代わりをしていました。

母親が入院したあと、今度は祖母が病気になりました。何の病気だったか知りませんが、体が腐っていく病気だとぼくは思い込んでいました。というのは、祖母が寝ている部屋に入ると、ものすごく嫌な臭いがしたからです。それからほどなくして祖母が亡くなりました。

葬式はお祭りのようなので、ウキウキしていました。村中の人たちが集まり、お坊さんが来て葬式を執り行い、棺を担ぐ人や飾り物を持つ人たちが行列を作り、山の中腹にある墓地まで歩きます。

その頃はまだ土葬で、墓地に着くと長方形の大きな穴が掘られていて、みんながその穴を取り囲み、お坊さんの読経の中、棺を穴に下ろします。

それまでウキウキしていたのに、棺に土がかけられていくのを見て、何か恐ろしい光景を見ているようで、それまでのウキウキ気分は吹っ飛んでしまいました。祖母を埋めるという、してはならないことをみんなでしているように思ったのでした。それが「死ぬ」ということだと後から知りました。

それから2年ほどして、退院して家に帰っていた母親が、父親と大喧嘩して家を飛び出し、浮気相手の若い男とダイナマイトを爆発させて心中しました。ダイナマイトは、働いていた鉱山から父親が持って来たものでした。