わざわざ丸を付けて「涙のあと」

それからしばらくして、父親から「ハハキトクスグカエレ」という電報が来ました。義母が入院している病院へ行くと、義母はベッドで苦しそうに唸っていました。意識があるのかないのかわかりません。病室には弟と父親がいて、父親は義母の耳元で「昭がいま帰ったで」とか「一緒に帰ろうな。ハイヤーで帰ろうな」とか「死ぬ時はワシも一緒じゃ」とか大袈裟なことを言っているのですが、それが心から言っているようには思えません。看護婦さんが入ってくると、義母のことはそっちのけで看護婦さんのほうばかり見ています。

ぼくは仕事があったので、そのまま東京に戻りました。それから2、3日して義母は亡くなりました。看取ったのは父親と弟でした。父親に向かって「アホ!」と言ったのが最後の言葉だったと、弟から聞きました。それを聞いて、義母はおかしくなかったのではないかと思ったりしました。

 

義母の葬儀が終わってから、父親から手紙がよく来るようになりました。寂しいから岡山に帰って来いという手紙で、最後に必ずお金がないから送ってくれと書いていました。手紙の一部に滲んでいるところがあって、そこにわざわざ丸を付けて「涙のあと」と書いていました。同情を引こうとしているのかもしれませんが、60半ばの男が書く事ではありません。

弟は高校を卒業すると、某大手カツラメーカーに就職して大阪に住んでいました。

ある朝、弟がテレビを見ていたら、父親の顔がアップで映ったのでびっくりしたそうです。それは岸部シローの「ルックルックこんにちは」という朝のワイドショー番組で、父親と一緒に出ていたのはカツラを被ったお婆さんで(弟はカツラ屋だったのでカツラをすぐ見破ります)、下を向いてもじもじしていたそうです。視聴者の望みを叶えるというコーナーだったらしく、テレビを見ているはずのお婆さんの娘さんに向かって、この人と付き合うことを許して欲しい、家が遠いのでうちに泊まることを許して欲しいと、父親は訴えていたそうです。

そのあとレギュラー出演者の竹村健一氏が娘さんに電話をして、「末井さんは何もこの人と結婚しようという訳やないんやからね、付き合うだけと言うてんやから、許してあげてもええでしょう?」と言うと、娘さんは一言「やっちもねぇ~」(岡山弁で「馬鹿馬鹿しい」ということ)と言ったので、弟はズッコケたそうです。竹村氏が「いやいや、老いたりといえど、私は素晴らしいと思いますよ。私は応援しますよ」と言うと、「恥ずかしいわ、ええ年こいて!」と言って、娘さんはガチャンと電話を切ってしまったので、スタジオがしばらくシーンとなったそうです。