二十数年前暮らしていた中央線沿線の街で、神田川を背にして。撮影は土さんの父である山くん〈(c)おじゃりやれフィルム〉

若い男性が育児をする「沈没家族」

 僕の場合、面倒をみてくれたのは、けっこう男の人が多かったよね。子育て経験のない男性が、僕のおむつを替えてくれたり、ごはんを食べさせてくれたり。もちろん、覚えてないけど。(笑)

穂子 当時、就職も結婚も難しそう、またはしたくないと考えていた多くは若い男性たちが、だめさを一人で抱え込まずみんなで吹き飛ばそうと、「だめ連」という集まりを作っていて。その人たちとの出会いが大きかったかな。

 イベントに来たある女性が、「これを逃したら、あなたは一生子育てのチャンスがないかもしれませんよ」とだめ連のメンバーを誘ったとか(笑)。ベビーシッターとは大違い。

穂子 そう、お金のやりとりはなし。来たら食事とビールくらいはふるまう、みたいな感じだった。最初は週に1回くらい来てくれる人が10人ほどいたけれど、だんだん人が増えて。初めて参加する人には、経験者がちゃんと付き添ってくれていたし、私が帰ってくると、土を囲んで4、5人がビールを飲んでいることもあった。

 「保育ノート」が10冊くらい残っているけど、ものすごく真面目にびっしり書き込んでいて、その熱量にびっくりした。保育人それぞれの自己紹介もあるし、僕が何時にご飯を食べたとか、何をしたとか、子育てに関する疑問とか。

「カセットテープのテープを土が引き出して遊ぶのを、止めさせたほうがいいのか、やらせたほうがいいのか迷う」みたいなことが書いてあったり。問題をみんなで共有しようと思っていたんだろうね。

穂子 注意すべき点は統一しないと子どもが混乱する、と考える人もいれば、統一見解を持って子どもに接するのは沈没がやりたいことではないのでは、と考える人もいたな。私としては、とくにルールは作らず、いたずらをした時に怒る人もいれば笑う人もいて、それぞれで違っていいと思っていた。