沈没家族が集まったある日の保育会議。左側手前が土さんと穂子さん〈(c)おじゃりやれフィルム〉

伝統的な家族観が崩れたら日本は沈没する?

 僕をめぐって、こんなに大勢の大人がいろいろ考えていたのかと驚いた。しかも、フリーペーパーまで出すようになったでしょう。

穂子 保育に来た人たちへのインタビューや、家族制度について思うことなどを書いて発信しようと保育会議で意見が出て。タイトルを考えていた時に、「伝統的な家族観が崩れたら日本は沈没する」みたいな主張が書かれたチラシを誰かがもらってきて、みんな沸いたんだよね。家父長制がなくなれば日本が沈没するなら、あえて浮き続ける必要はない。だったら自分たちは「沈没家族」だ、と。

 沈没家族という名前がユニークなので、大学の卒業制作で僕を育ててくれた人たちを訪ねてドキュメンタリー映画を作る際、タイトルとしてそのまま使わせてもらったけど。

穂子 6畳と3畳と台所の小さなアパートに、月に1度は保育会議で20人くらい集まったかなぁ。さすがに狭いし、近所からクレームもあって、土が2歳半の時、沈没家族を通じて出会ったシングルマザーに誘われ、一戸建てに移って。

 「沈没ハウス」と名付けたわけだ。

穂子 シェアしたら家賃も安くすむので、母子2組と単身者3人で共同生活を始めた。そのうち母子がもう1組増えたけど、相変わらず通いの保育人がけっこういて。私は写真も撮るほか、水道の検針や病院の清掃で収入を得て、障がい者の介助の仕事を始めたから、基本、経済的には実家を頼らず、土を育てることができたよ。

 小学校の運動会の時とか、僕の応援団がやたら多かったのは、うっすら覚えている(笑)。とにかく家と小学校という社会の落差が大きすぎて、なんとか学校に順応しようと、僕なりにがんばってたんだと思う。けっこう優等生で、通知表に「親御さんの育て方がすばらしいのですね」と書いてあったのは、まるで笑い話だけど。

穂子 そんなこともあったね。