「なんか遠心力でふっ飛んだみたいに、そうだ、八丈に行こう、と。(笑)」(穂子さん)

遠心力でふっ飛んだみたいに八丈島へ

 僕が8歳の時、穂子さん、急に八丈島に移住を決めたじゃない。

穂子 最初は抵抗して、ずいぶん泣いてたよね。

 僕はそれまで週末は山くんと過ごしていたけど、それもできなくなるし、友だちにも会えなくなるから。そのうち「子どもには拒否権がないんだ」みたいな諦めの境地になったけどね。

穂子 土はもう一人で過ごせる年齢だし、これから自分はどう生きるかを考えたかった。そんな時、旅先で買った、伊豆七島の地図が印刷されている布巾をふと見たら、八丈島のところにバナナの絵と温泉マークがついていて……なんか遠心力でふっ飛んだみたいに、そうだ、八丈に行こう、と。(笑)

 常に誰かがいてくれる「沈没」での環境からがらりと変わって、最初はつらかったなぁ。学校ではいじめにあって、順応できるまで1年くらいかかったかな。

穂子 私は障がい者の介助の仕事を始めたけれど、それだけでは生活ができないので、すし屋のランチと夕方から焼き肉屋の仕事をかけもち。夜も土を一人にすることがあって、申し訳ないという気持ちはあったよ。

 そのうちサッカーを始めて友だちができたし、泳ぐのが好きだったから海があるのもいいなぁ、と。今思えば、もし沈没のまま思春期を迎えていたら、家に人がたくさんいるのが鬱陶しくなっていた可能性もある。結果的にいいタイミングだったのかもしれない。

穂子 でしょう?(笑)