「沈没家族は、穂子さんにとってはどんな時間だったのかな。」(土さん)/「振り返って改めて感じるのは、あの場所には大きな可能性があったということ。」(穂子さん)

 

 それにしても、八丈で最初に住んだ家は壮絶だったよね。

穂子 白アリに食われて床が半分なくて、地面が見えていたすごいボロ家。梅雨時、夜になると蛍光灯の下に羽蟻の竜巻柱ができる。

 僕は大学進学で島を離れて、祖母のみんばと一緒に暮らすようになった。僕が20歳になったことを記念して沈没同窓会が開かれるまで、沈没家族のことはほぼ忘れていたんだ。

穂子 私としては、おかげさまで土も私も元気にしていますと、みんなに知らせたかったから企画したんだよね。

 同窓会では僕を見て「土だ!」と感極まって泣き出す人もいれば、「パンツはきたがらなくて大変だったよ」とか言われて。みんなすごく盛り上がっているけど、僕は接し方がわからず、敬語になったり……。

ただ、すごく楽しそうに語るのを見て、みんなにとっていい時代だったんだろうな、というのは感じた。だからもう1回、沈没家族に出会い直したいと思って、映画を作ることにしたんだ。

穂子 映画にしたいと聞いた時は、面白いことになったなと思ったよ。

 

「ひとりでは無理です」と言って外に出れば

 沈没家族は、穂子さんにとってはどんな時間だったのかな。

穂子 渦中にいる時はその生活が当たり前だったけれど、振り返って改めて感じるのは、あの場所には大きな可能性があったということ。生きていく希望、と言ってもいいかもしれない。

 生きていく希望かぁ。重たい言葉だね。

穂子 子どもへの虐待のニュースを目にすると、私は沈没家族があったからそうならなかったけれど、もし土と2人だけで暮らしていたらいつどうなってもおかしくなかったな、と感じることもある。

 それにしても、ある意味で大胆なことをよく始めたよね。

穂子 「ひとりでは無理です」と言って外に出れば、誰かに出会えると思ったんだよね。