ドライブインに来る観光客のほとんどが、中高年の夫婦や女友達といった様子の人たちだ。
夏休みだし、親子連れもいるが、そういう時はだいたいおじいちゃんやおばあちゃんと三世代一緒にツアーの旅をしているような雰囲気で、両親と子どもだけ、というパターンは少なかった。聞けば、夏の四万十に来る親子連れは、団体ツアーよりは、個人で宿を取って川下りや川釣りの体験パックを個別に申し込むことの方が今は増えているのだそうだ。
「お疲れ」
軽い素材でできた朱塗りのお椀を重ねて片付けながら、聖子が話しかけてくる。早苗もようやく一息つける思いで答える。
「お疲れ」
「今日、力くんは? また遼ちゃんのとこ?」
「うん。エビを獲るんだって、朝からはりきってた。夕方になったら持ってくるんじゃないかな」
自分が働く間、遼たち親子は息子の面倒をよく見てくれている。一度、恐縮した早苗が挨拶に行ったら、二人が笑って「力くんを勝手に戦力にして悪いね」とか、「そうだよ、親父。バイト代出さなあいかんぜ」と言ってくれて、心が軽くなった。
最近また背が伸びたとはいえ、都会育ちでろくに自然遊びもさせたことがない息子が、二人の邪魔をせずに手伝いができているとは思えなかったが、力も舟に乗せてもらうのは本当に楽しいようだった。
「力くん、ずいぶん日にも焼けたし、逞しくなったよねえ。川が合ってるのかな。遼ちゃんに悪い遊びでも吹き込まれてないといいけど」
「遼くんのこと、本当に好きみたい。今日はこんなことがあった、って話し出すと止まらないんだ」
ついこの間もそうだった。
──お母さん、ウナギの卵って、これまでずっと誰にも発見されなかったって知ってた?
遼のところから戻って、食堂に早苗を迎えに来てすぐ、興奮した様子で話し出した。
──何年か前に、日本の学者の人が初めて太平洋で見つけたんだって。
力には、本当に新鮮な驚きだったようだ。早苗が口を挟む隙も与えない。
──すごくね? こんなに科学とかいろいろ発達してるのに、ウナギなんてスーパーでも売ってるような生き物のことがまだ謎なんだよ。だから、天然ウナギって稚魚からしかいないんだ。
力のその声を聞きつけて、厨房でスポーツ新聞を読んでいた調理長の窪内が顔を出す。「なんだ、坊。母ちゃんにウナギが食いたいってアピールか」と言われ、力が途端にもじもじと言葉に詰まる。「オレ、ウナギあんまり好きじゃない」と答えると、窪内が「なんだそりゃ」と言って、かかっと笑っていた。
四万十に来てから、力は好き嫌いも少なくなったように思う。見た目で判断して、食べ慣れないものには絶対に手を出さない子だったけれど、食堂に来ると問答無用に周りから「これも食え、あれも」とおせっかいを焼かれる。
最後の客の一団が、ガイドの女性から「はーい、そろそろ下に」と案内される声が聞こえる。早苗はちらりと壁にかかった時計を見上げる。このくらいの時間になれば、自分たち従業員もようやく昼休憩に入れる。
「おーい、女優さん。ここの席すぐ片付く?」
声がして振り返ると、この近くに住む鈑金屋の社長と、その従業員たちだった。この時間帯の常連だ。まだ片付ける前の席だったが、隅に設置されたテレビを観るのにちょうどいいのだろう。彼らが毎回座るあたりだ。
「はぁい、ただいま」と、早苗が答える。
女優さん、と呼ばれた声に、ガイドの案内で席を立ち上がりかけていた団体客の何人かが、「え?」と驚いたようにこっちを見るのがわかった。早苗はいたたまれない思いで顔を伏せる。あわてて、お盆に載せた料理の残りを厨房まで戻しに行く。
常連客である彼らに、「この子、東京で女優やってたの」と聖子がたわいなく教えたのは、何も悪意があってのことではない。聖子は学生時代から早苗の舞台をよく観に来てくれた。社会人になって高知に嫁いでからでさえ、チケットを買ってわざわざ上京してきてくれたほどだ。
大学を卒業してから、力が生まれる二十八歳の年まで早苗が所属していた「剣会」は、主宰者である鶴来嵩の名前こそ有名だが、それでも知る人ぞ知る、という域を出ない小さな劇団だった。もともと演劇界自体がそうだと言われてしまえばその通りなのかもしれない。
脚本と演出を手掛ける鶴来の姿はテレビや雑誌でもよく見るが、彼以外の役者陣が表に出ることはほとんどない。今ではだいぶ丸くなったそうだけれど、当時の鶴来が極端に厳しく、所属する役者たちに自分の劇団以外の仕事を一切許さなかったという経緯もある。
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