そんななか、70代後半になった母にがんが見つかった。私は仕事を辞め、母を自宅で介護するようになったが、7年ほどの闘病を経て85歳で他界。胆石の治療で入院していた父は、死に目に会えなかった。さらに母の葬儀が終わってすぐ、胆管がんが見つかったのだ。手術をせずに化学療法だけならば、もって1年ということだった。

アメリカに赴任していた弟とリモートで話し合ったが、手術についての決断は父に任せた。すでに父は85歳。母を亡くしたことで積極的な治療を望まないかもしれないと思ったが、「手術できるものなら受ける」と言う。いま思うと、「まだ死にたくない」ということより、母のすぐ後に父を見送ることになる私たちの気持ちを慮ってくれたのかもしれない。

 

何一つ口にしなかったのは亡くなる前日だけ

手術は成功し、再発を抑えるために抗がん剤治療をすることになった。あまり副作用がない体質だったのか、驚くべきことに最初の投与が済んだ途端、「腹が減った」と言い出した。そして退院したその足で病院近くの店に飛び込み、大盛りのちゃんぽんをペロリと平らげたのだ。これがついひと月前に8時間におよぶ手術をして、膵臓から胆のう、食道の一部までごっそり切除した人だろうか。

それからは、抗がん剤投与の後は、病院内のカフェで昼食をとるのが習慣になった。洋定食と和定食を交互に、ときには素うどんまで添えて……。ほかにも、父の希望でグルメ旅行をしたり、弁当を持って花見を楽しんだりもした。本来は絶食や食事制限がつきものの病だが、膵臓を切除したことで膵炎の心配がなくなり、むしろ以前より父の食生活は豊かになったのだ。

しかし胆管がんは難敵で、1年あまりで再発。これ以上の治療は無意味だと、緩和ケアを受けられる病院への入院をすすめられた。しかし変化を嫌う父は、「病院のメシはおいしくない」と拒んだ。さいわい今は、在宅診療でもいろいろと便宜が図られている。「私が家で看る」と伝えると、父は喜んだ。