ガルガンチュアのごとく、よく飲んで
それはさておき、この夜、私たちは飲みに飲んだ。立花さんもピットも大酒豪であり、2人ともガルガンチュアのように、生まれでるや、「飲みたーい、飲みたーい」と大声を張り上げたのに違いない。そして乳のかわりにワインをグビリグビリと飲んだのに違いない。M夫人もワインがお好きなのに、この日は台所と食堂を忙しく行ったり来たり、何種類もの手料理でもてなしてくださった。
私も、正直なところ、実によく飲んだ。パリでは毎日、私もピットもワインしか飲まない。ところが立花家では、シャンパーニュ、白ワイン、赤ワインのほかに、ビール、日本酒、ウイスキー、ブランディも飲んだのである。
よく笑い、よく食べ、よく飲んだことは覚えているが、はたして何をしゃべったのやら。きれいに忘れてしまっている。この日私がほぼ一人占めにして彼らよりはるかに多く飲んだのは、日本酒であり、それは久須美酒造の「亀の翁」だった。今や、私には幻の酒である。
翌年も帰国した折、私とピットは立花家にお邪魔した。やはりよく飲み、おおいに酔った。この時、私はブルゴーニュの小さな村に荒家を買ったという話をした。それは二軒長屋で、典型的なブルゴーニュ風であり、100年以上も昔の家だった。トイレも浴室もなく、台所といえば流しがあるくらいで、工事が必要だった。隣がまだ空家であることを話すと、立花さんの目がキラリと光り「そこは僕が買うよ。」と宣言。
お隣は私の家より広いが、やはり荒家であり、工事が必要だった。現物を見ないで買うなんて、私には信じられなかった。それに酒の上の話だった。
ところが、立花さんの決断は本当だった。それ以後、夏休みの間、私たちは隣人同士になった。立花一家はいつも賑やかな様子だった。年によって、立花さんのご両親、M夫人のお母さん、友人一家、編集者の方などを同伴されていた。私たちは時折、どちらかの家で、あるいは庭で夕食を共にした。
「コック・オウ・ヴァーン」と声をあげ
ある夕べ、食卓で何かの拍子に立花さんが「コック・オウ・ヴァーン」(鶏の赤ワイン煮)と歌うように声をあげ、ピットもつられて「コック・オウ・ヴァーン」と大声を張り上げた。鶏がコケコッコーと叫ぶように。ピットも娘もこのことをよく覚えている。
この夏、家に遊びに来た娘一家と立花さんのことを偲んだ折、ピットが「コック・オウ・ヴァーン」と立花さんを真似して声を上げた。すると、6歳と4歳の孫はたちまち、ぬり絵や、レゴ遊びをしながら、「コック・オウ・ヴァーン」と、歌い始めた。この秋の万聖節のご馳走にはコック・オウ・ヴァンを作ろう。私は、そう決めた。