コロンボのような立花さん
東大の赤門の近くに住んでいた私は、時々、本郷通りで立花さんにばったり出会った。もじゃもじゃ頭に、その頃、流行っていたテレビドラマの「コロンボ刑事」の風体にも似たよれよれのレインコートを着て、いつも風呂敷包みをぶら下げて歩いていらした。風呂敷の中身はもちろん本だ。
その姿は遠くからでもすぐに立花さんと分かり、「あっ、コロンボ!」と、私はつぶやいた。それはたぶん立花さんが文藝春秋を辞し、東大の哲学科に学士入学されたころだと思う。私は結婚して数年後であり、フリーのコピーライターをしていた。夫はある雑誌の編集長をしていて、その雑誌に立花さんはよく書いていらした。夫は立花さんの才能を早くから高く評価していて、本郷の家に何度か食事に招いた。
ある時、「ちょっと旅に出ますので、その間、子猫の花子を預かってくれませんか。」と唐突に頼まれた。立花さんは行き先もいわず、ぼそぼそっと少し鼻にかかったあの独特の声でいった。私は承諾した。
猫を自分で飼った経験はなかった。でも立花さんが大変な猫好きであり、野良猫を拾ってきては自室で何匹も飼っていること、昼になると、彼らに餌を食べさせるために文春の編集部からそっと抜け出し、自分のアパートに帰っていたなんて噂を、私は耳にしていた。花子は生後3ヵ月だった。
気管支炎から猫アレルギーと発覚
いつまでたっても、花子を返してくださいという催促はなく、私も引き取ってくださいと連絡もせず育てていた。なにしろ花子は、形のよい大きな目をした美しい猫で、とびきりかわいかった。
でも、「花子は元気ですか。」と、時折、電話があった。いつの間にか立花さんは新宿でバーを経営していらして、そのバーからの様子だった。
花子を肩に乗せて初めて本郷通りを散歩した時、騒音を怖がって、私の肩に爪を立て、痛い思いをしたこと。近所の日当たりのよい墓場で遊ばせること。そのうち玄関の戸を開けると一目散で階段を下りてゆき一人で遊ぶようになったこと。高級なケーキ屋さんのお菓子でなくては食べなかったこと。ある日、花子が帰らなかったこと。1ヵ月後にげっそりとやせて薄汚れて帰ってきたこと(うっかり遠出をして帰り道を見失ったのだと思う。けれど東京のど真ん中の鉄筋コンクリートの3階にあるアパートにちゃんと戻ってきたのである。あの日の感動は忘れられない)。
などなど、私は他愛のないことを報告した。
そうこうしているうちに私は重い気管支炎にかかった。診てもらった近所の医者はとても親切で、半年ぐらいたったとき、「すべての手を尽くしたのに、なぜ治らないのか。私にはわからない。」。そう言ってから、不意に思いついたかのように「ひょっとして、あなたは猫を飼っていませんか。」と、訊いた。
「分かった。原因は猫だ。あなたは猫アレルギーなのです。」と医者は言い、「猫は私が飼いましょう。猫を連れてきなさい。」と、言い添えた。検査の結果、実際にひどい猫アレルギーであることが分かった。花子を手放すなんて!