ブランドの洋食器では料理が映えない

実用品のほうはというと、やはり自分の価値観に左右される。

昔、有名ブランドのティーカップセットや高級洋食器のフルセットをいただいたことがあった。最初は嬉しかったのだが、使っているうちに食卓がつまらないと感じるようになったのだ。この感情の変化には驚いた。

当初は高級品なので生活にも品が出てくるように感じたのだが、洋食器ゆえなのか、料理が映えないという気がした。日本食のように料理に合わせて小さい器を1つから選び抜くような心くばりや時間を味わえないのである。ホテルで朝食をとっている気分にはなるが、すぐ飽きてしまった。

というわけで、自宅で利用している食器は、支離滅裂である。夫が集めたシールでもらった不揃いの製パン会社の「パンまつり」の皿、贈りもののマグカップ、スパゲティのシールを送って当たったパスタ皿。スヌーピーやハローキティなどキャラクター付きの器まである。

ああ、これが家庭の食卓というもの、幸せというもの。さまざまな思い出が詰まっている。むやみに品物を捨ててしまうと、内在するすてきな思い出も捨てることになるかもしれない。

捨てるのなんて、自分の死後、家族に任せればいいじゃないか。生きている間は、誰に何と言われようと、好きなモノやたわいない思い出に囲まれて、ニヤニヤしながら楽しい時間を過ごせばいいのだ。そういう時間の連続が幸せな人生なんだと思う。


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