『安楽死を遂げるまで』(著:宮下洋一/小学館)

「個」がそれほど大きくない日本人

宮下さんは18歳でアメリカの大学を卒業後、スペインの大学の大学院でジャーナリズムを学び、フランス、スペインを拠点に世界各地で取材を行っています。欧米の弱肉強食社会で「個」を確立してきた人です。その彼が、日本で安楽死を取材をするうちに、自分に足りないものを発見したと書いています。

 突っ走った23年間、世界中の人々と交流し、やや乱暴であろうとも、後ろを振り向かない人生を送ってきた。明日死のうとも、自己責任である。誰にも振り回されず、自分の最期は自分が決める。その代わり、周りもその生き方を尊重してくれるはず。そう思ってきた。だが、日本取材を経て、欧米で築き上げてきた人生観に今、揺らぎを覚えている。
 集団に執着する日本には、日常の息苦しさはあるが、一方で温もりがある。
 生かされて、生きる。そう、私は一人ではなかった。周りの支えがあって、生かされている。だから生き抜きたいのだ。長年、見つけられなかった「何か」が、私の心に宿り始めた。この国で安楽死は必要ない。そう思わずにいられなかった。

(『安楽死を遂げるまで』より)

この文章を読んで、正直ほっとしたところがあります。安楽死を望む欧米の人達には、「死は自分の私的な事柄なのだから自分で決めるべきだ」という個人主義的な考えがあります。その裏には、大きな孤独を抱えている人もいると思います。安楽死を選んで一人で死んでいくその時に、その人の孤独メーターは最大限に振れるでしょう。そんな孤独を見せずに、強がって微笑んで死んでいくことに虚しさを感じるのです。そう思うと、「個」がそれほど大きくない日本人には、安楽死は合わないのではないかと思うのです。