「死」を感じた時(荒木経惟写真展『七月七日』artspace AM)

最初のメールを出してから3ヵ月後

宮下さんはメールアドレスを公開しているので、安楽死にまつわる相談が寄せられるようになっていました。その中でも、ミナさんのメールは切実で、宮下さんは彼女に会ってみたいと思いました。ミナさんが「ライフサークル」への仲介を期待しているのではないかと思い、あらかじめ「スイスに行くためのお手伝いはできません」と断ったうえで、取材の申し込みをしました。エリカ・ プライシックのことをよく知っている宮下さんは、ミナさんの望みは叶わないと思っていましたが、彼女は自力でプライシックとやり取りをし、結果的に「ライフサークル」で自殺幇助を受けることになったのです。

NHKの取材も入ることになり、それも包括した形で『安楽死を遂げた日本人』の取材が進んでいきます。通常では何ヵ月も待たされるのに、予定していた人が病死のため空きが出て、思ったより早い2018年11月28日に、小島ミナさんの自殺幇助が行われることになりました。ミナさんが宮下さんに最初のメールを出してから3ヵ月後のことでした。

『安楽死を遂げた日本人』には、11月28日のことが詳しく書かれています。朝食後、宮下さんはプライシックの兄ルエディと合流し、彼の車で移動することになりました。途中、薬局で致死薬のペントバルビタールの購入に付き合わされます。自殺幇助という非日常的なことのために、薬局で買い物をするという日常的なところが、とても奇異に感じました。

その後、プライシックが待つ林の中にあるアパートに、ミナさんと2人の姉、NHK取材班の2人が集まり、ミナさんは各種書類にサインし、ルエディは点滴の取り付けを行い、午前10時を過ぎた頃、プライシックに促されてミナさんはベッドに入ります。ここからの様子はテレビ放送で見ていたのですが、本で読んだほうがミナさんと2人の姉の様子や心情が伝わってきて、読んでいて思わず涙が出てきました。ミナさんには、安楽死することに反対の妹がいるのですが、その妹も、2人の姉も、決心の強いミナさんを止める言葉がなかったのだと思います。ミナさんが死んでいくところで泣き喚く長姉には、その悔しさもあったのではないかと思いました。