日本は「生きることが保証されている社会」か
この事件に関して、朝日新聞が京都市在住の「日本ALS協会」近畿ブロック会長の増田英明さんに、事件についての考えを尋ねました。増田英明さんは定年退職後にALSを発症し、「孫の成長を見守ってほしい」という娘さんの言葉に勇気付けられて人工呼吸器を装着し、今は24時間の介護サービスを利用して自宅で暮らしています。増田さんから朝日新聞へ、次のようなメールが返ってきました(少々長いですけど、重要なことなので全文掲載します)
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生きることが当たり前の社会で、私たちは常に生と死の間におかれています。誤解して欲しくないのは、彼女の意思表明は、生きたいと思ったからこそのものであること、そして事実生きていたということです。安楽死という希望は彼女が作り出したものではなく、社会が作り出した差別の中で生み出された彼女の叫びなのだと私は思います。
私はその女性とは面識はありませんが、彼女のように生きることに迷って、生きることをためらっている人はたくさんいます。ましてや、体が動かせずにコミュニケーションもままならない状態では、私たち患者自身も生きたいという意欲が持てずに尊厳死・安楽死に気持ちが傾いていくのは当然のことです。
社会は、ALSなど重度の障害者が生きることを簡単には認めてくれません。そういう社会では、まさに今起こっているように、彼女と他の患者の条件を比べて、同じ病や障害を持つもの同士を分断しようとします。
きっと社会は、安楽死や尊厳死の法制化に向けて議論を再開するでしょう。そして、私はそれに反対することになります。こうやって同じALSなのに、さも私の存在や主張が彼女を否定するかのように受け取り、彼女と私をわけていきます。そうして、私や彼女、ALSの人が抱えている問題や苦悩を覆い隠していくのです。
私も彼女も同じです。ちゃんと私たちが直面している苦悩に、現実に目を向けてください。彼女を死においやった医師を私は許せません。そしてその医師を擁護する医師や医療者、社会があるとするなら、その社会自体が否定されるべきです。
相模原(無差別殺傷)事件で経験したことが、優生思想が脈々と息づいています。
私たちが生きることや私たちが直面している問題や苦悩を尊厳死や安楽死という形では解決できないし、そうやって私たちの生を否定しないでほしいです。
いまこそ、「生きてほしい」「生きよう」と当たり前のことをあたり前に言い合える社会が必要です。
(2020年7月26日の朝日新聞より)
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今から44年前、日本航空の飛行機が日本赤軍にハイジャックされた時、福田赳夫総理が「人の命は地球より重い」と言いました。実際、犯人側とどんな取引をしたのか覚えていませんが、その言葉だけはよく覚えています。その言葉に安心感を覚えたからです。
菅総理が「国民の命と安全を守るのが私の責務」と何度言っても、安心出来ないどころか逆に不安になるのはなぜなのでしょうか。日本は「生きることが保証されている社会」だと漠然と思っていたのに、本当は何も保証されていないことが、コロナ禍になって露わになったからではないでしょうか。
そんなことをとっくに知っていたのは、今は亡き小島ミナさんや林優里さんだったと思います。増田英明さんの文章は、その2人の気持ちを代弁しているようで、胸を打たれました。
橋田壽賀子さんの『安楽死で死なせて下さい』という本が出た頃から、安楽死のことが話題になるようになりました。ぼくも「安楽死で気持ちよく死ねたらいいだろうな」と安易に思っていましたが、そこに至る人達のことを知ると、「安楽死で気持ちよく死ねたらいい」なんてお気楽なことは言えなくなりました。
いずれ日本でも安楽死が認められ、難病患者だけでなく、精神病患者も認知症患者も安楽死の対象になるかもしれません。それまで生きていないと思いますが、安楽死に反対しながら、残された命を全うしようと思っています。
※次回配信は9月16日(木)の予定です