「江戸への道がわからない」

その言葉を受け取った瞬間、金縛りが解けて体を動かせるようになった。私はベッドを飛び出し、父と母の寝室に走っていって、いま見たことを話した。母は「また寝ぼけて」と取り合ってくれなかったが、父親は「そういうこともあるかもしれない」と真顔だった。

父は、大学の警備員から聞いたとして次のような話をした。深夜構内をパトロールしていた時、道端にしゃがみ込んで泣いている着物姿の女の人がいたので、「どうしましたか」と声をかけたところ、「江戸への道がわからない」と言ってどこともなく立ち去った、という……。

その一連のことを、大学教授の思いがけない雑談で突然思い出した。そういえば、当時住んでいた寮にはジュウシマツやカナリヤが十数羽いたが、蛇に食べられてしまったり、箱の隅で冷たくなっていたりして次々と死んでしまい、一羽も残らなかった。弟が大切に飼っていたミドリガメも、建物の前にある小さな池でひっくり返って死んでいた。あの場所で、過去にいったい何があったのだろう。

調べてみると、そのエリアは鎌倉街道にほど近かった。追討の命を受けて主人の首をとった使者の逸話などがある歴史の舞台でもあり、また軍事道路として各地へ武士や食糧を運ぶ道だったらしい。この地をたくさんの人が行き来し、戦もあった。そこで倒れ命尽きた人も少なからずいたのだろう。何百年という時を経てもなお、無念の思いを抱いて彷徨っているのか……。

当時のうす暗かった林はなくなり、現在は新しい建物が建っている。私に語りかけたあの武者の魂は、果たして癒やされて平安を得ているだろうか。

私が中学生の時に体験した武者の声の衝撃を、家族を持った今、こうして機会があり文字に書き起こしている。たった一人でもその魂の存在を覚え忘れないことが供養となり、誰とも知れないがその人が生きた証しと言えるのかもしれない。


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