なぜ長尾ではなく上杉を名乗り続けたのか

伊東:疑問なのは、謙信は姓を上杉に変えますが、関東管領の権威がなくなった後、長尾に戻すこともできたのに上杉を名乗り続けましたね。後継者の景勝も上杉のままで、結果的に明治まで続いていきますよね。

「上杉八将図」江戸時代18世紀、絹本着色。出典:東京国立博物館/ColBase(https://colbase.nich.go.jp/collection_item_images/tnm/A-12353?locale=ja)

本郷:それどころか越後の各地にいた長尾一族が謙信が上杉に改姓すると、みな上杉を名乗っています。

伊東:一方で足利姓は関東で重んじられませんでした。逆に足利家の家臣にすぎない上杉姓が関東では幅を利かせていたというのは面白いですね。

本郷:そうですね。鎌倉時代の北条みたいな存在が上杉なので、関東の人間にとってはブランドになっていたのかもしれません。権威は重要で、武田信玄も有能な家臣を見つけると、甲斐や信濃の名家へ養子に出し、皆を納得させてから重臣にしています。馬場信春は、その典型ですね。そう考えると、どこの馬の骨か分からない人間を重臣に抜擢した信長は、本当に変わっていたと思います。

伊東:信長については従来のイメージが随分と書き換えられてきましたが、実力主義人事や抜擢人事に関しては画期的ですね。また、北条早雲を見ていると、しがらみがないことがむしろ強みになってる部分があります。権威に寄らないと、軍人も官僚も有能なら身分を問わず登用できます。そうした形で勢力を拡大したところは、信長に似ています。