なぜ関宿ではなく江戸だったのか

伊東:井戸を掘っても海水しか出なかったというのは盲点でした。道灌の時代ならまだしも、北条氏が本拠を移すのは無理ですね。やはり江戸に本拠を移すとしたら、江戸幕府が行ったように利根川の東遷事業とセットなんでしょうね。

だとしたら北条氏は、江戸ではなく関宿(編集部注:今の千葉県野田市周辺)あたりに本拠を移しておけばよかったかもしれません。

 

本郷:なるほど。ただ関宿は海に面していないので、経済発展が難しいかもしれませんね。家康の時代になると、於大の方の子どもで家康の異父弟にあたる松平康元が関宿城の城主になっています。家康が一族で固めたほどなので、重要な街ではあったはずです。

伊東:そう考えると、関宿に本拠を移しても北条氏が生き残るのは難しかったかもしれませんね。北条氏は後の江戸幕府と比べると、はるかに権力基盤は弱いので、利根川流域の国人たちをどこかに移封し、利根川の東遷事業を行うことなどできませんしね。

本郷:関宿も大工事を行えば拠点たる街になったかもしれませんが、同じ費用をかけるなら江戸だったんでしょう。江戸湾の防衛を考えた家康は、巨大な船を使う朱印船貿易は浦賀で行うつもりでした。だからペリーが江戸ではなく浦賀に来たのは、必然です。そうした知恵は受け継がれるものなので、道灌が見つけ家康が完成させたのが江戸という街なんです。

※本稿は、『叛鬼』(中公文庫)に収録した特別対談を再編集したものです。


『叛鬼』(著:伊東潤/中公文庫)

逆徒、奸賊、叛鬼。悪名を轟かせる景春を中心に、やがて戦国乱世の扉が開いていく――。戦国前夜をダイナミックに描いた本格歴史小説!巻末に著者と本郷和人氏の対談を特別収録。