女と男の中間をさまよう大きなサナギ
彼女について私が初めて文章を書いたのは、1971年のことだった。『NOW』という今はなき伝説の雑誌の人物論である。その文章の執筆のためのインタビューで、彼女はつよい印象を私にあたえた。私もまだ三十代で若かったし、太地喜和子も若かった。そのとき書いた文章を読み返してみると、脇の下がむずむずしてくる。太地喜和子のほうも、そうだったにちがいない。
「キザな文章を書くお兄さんだねえ」
と、酒の席で笑っていたのではあるまいか。
そのときの文章の一部を再録してみよう。時代を感じさせる名前がいくつも出てくる。
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〈(前略)太地喜和子は男っぽい女である。
と、いうことは、官能的に見えながら、実はその反対の硬質の精神に充ち満ちた存在であるということだ。
しかし、真に官能的である女、性的に卓越した女は、常に女性的ではない。表面的に女らしい女、セクシュアルな女に、本当の女はいない。この意味で太地喜和子は、本当の女になり得る可能性を秘めた、目下のところはそのどちらともつかぬ地点をさまよっている男っぽい女である。(中略)
緑魔子にはさしずめドストエフスキイの作品を読む面白さと魅力があり、杉本エマにはフォークナーの長篇をひもとく興味があった。麻生れい子は、そうなるとチェスタートンかアポリネールの短篇の奇妙な味が感じられるといっていい。とすれば、太地喜和子は?
やはり正解はガルシア・ロルカであろう。彼女は小説というより、詩に近い。それもスペインの土と誇りに彩られた血の匂いのする前近代の魅力とでもいえようか。
「あたし、おカマが好きなの」
「麻生れい子もそうだった」
「一緒にお風呂にはいっても、ちっとも変な感じがしないわ、彼ら」(中略)
太地喜和子は、霞町の裏通りにある小さな店で、うどんを食べ、おでんを片づけ、水割りを気持ちよくお代りして、ちょっとかすれた声で春歌をうたい、その場にいる男たち、ライターや、写真家や、編集者のみんなに気を配って夜明けまで疲れを見せなかった。
夢野久作の小説をもし舞台か映画にするとすれば、そのヒロインには彼女が最もふさわしいような気がする。
太地喜和子は、まだ女と男の中間をさまよっている大きなサナギであるが、彼女は必ずその境界線を越えるにちがいない。その時、私たちは真に男性的であると共に、真に女性そのものでもある本物の人間としての彼女にめぐりあうことになるのではあるまいか〉
『NOW』1971年12月号より
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