霞町のバーで飲む彼女を見た

こんな調子で、芝居のことを語っても、恋愛のことを喋っても、なによりもテンポがいいし、サービス精神にあふれている。しかし、そのテニスのラリーのような言葉のやりとりの背後に、彼女の心の裂け目というか、或る虚無感がにじみでているような気がして仕方がなかった。

「わたし、小学生のとき、授業中に机の角にあそこを押しつけてオナニーしてたの」

とあるとき彼女が言った。

「ご存知でしょうけど、むかし一生に一度っていうくらいの恋愛したわけよ。二人で駆け落ちみたいに北の方へ逃げてね。それでセックスはしないの」

「疲れてたんだろう。男は疲れるものなんです」

「ちがうの。ちょっと変った性癖のある人でね、わたしを椅子に坐らせてオナニーしろっていうのよ。わたしがそうすると、彼はそれを見ながら自分でするの。外は雪でね。切なかった」

いちど前にインタビューをした霞町のバーへ顔を出したとき、中村勘九郎(十八代目中村勘三郎)と二人で隅っこで飲んでいる彼女を見た。対談のときの屈強そうな太地喜和子ではなく、しっとりと相手に寄りそっているような感じだった。

長田渚左さんの書いた『欲望という名の女優 太地喜和子』という本を読むと、太地喜和子という人の多面性がよくわかってはっとするところがある。だれもが自分は太地喜和子を知っている、と思っているが、じつはそうではない。奔放にみえる彼女は、対する相手によっては自在に変るキャラクターの持主なのだ。舞台での存在感は、その多面性の引き出しのようなものだろう。