撮影:霜越春樹
田辺聖子さんが6月6日に亡くなられました。半世紀以上、珠玉の小説・エッセイを書き続けてきた田辺さん。『婦人公論』にも、折にふれてご登場いただき、心に響く言葉の数々を残してくださいました。その中で、最後にご登場いただいたインタビュー(2012年1月22日号)を再掲します。テーマは「幸せ」。女の人生の甘さとほろ苦さを知っているからこそ語れる、禍福のリアリティと笑いの効能とは

「かもかもちゃん」が役立つ

どうしたら幸せになれるのか? 幸せって何? ──それは、私が聞きたいぐらいです(笑)。みなさん、そう思って暮らしているんですね。でも、その答えがさっと出てこないということは、きっとその人は幸せに浸っているということです。「これが幸せなんだよ」と教えてくれる人は誰もいないし、自分で気づくのはとってもとっても難しいこと。

私が幸せだなと思うのは、大人になっていろいろな考えが持てるようになったことですね。たとえば苦手だった食べ物でも、人に「まあ、そうおっしゃらずに騙されたと思って食べてみてちょうだい」と薦められて食べてみると美味しかったということは、誰にでも経験があるでしょう。自分の好物を人に薦めて、「食べたことなかったけれど、美味しかったわ」と言ってもらえたら、嬉しいものです。

ものの考え方、見方も同じです。一つの考えに縛られていたら不自由。「これもあるよ」「あれもあるよ」というふうにお裾分けしてみると、みんな、気楽になれるのやないかしら。

「自分は今までこうとしか思ってなかったけど、こっちもありやな。これもええかも。これも幸せかも」なんて考えられるのが、本当の大人。言葉のお尻に「かもかもちゃん」をつけておくの。(笑)

この語尾につく「かも」が大事なのですね。嫌なことがあっても、失敗したとしても、「かも」をつけておいたら、自分を追い込んだり、責めたり、腹を立てたりしないですむ。

嫌な人でも、「そうか、あいつはあいつでいいところがあるのかも。神様がそういうふうに作ってくれてはるのかも」と思うと、とことん嫌いにならなくてすむ。そうすると、こちらの考え方もまた変わってくるでしょ。

そんな具合に視野を広げていくと、今まで、一は一でしかなかったけれど、二だったり三だったりになり、気がついてみたら四十くらいになっていて、一つの箱がいっぱい膨れていくの。モール細工と同じで、どんなふうにも変えられるという柔軟性がある人ほど、幸せ上手です。

そういう意味では、まず世の中に出て、いろんな人がいることを知っていくことが、幸せの入り口なのかもしれません。人と出会って、「私はこう思うけど、あんたはどう思う?」と意見を開陳しあい、仲間を増やしていくなかで、「そんな考えもあるか」という考えがポンポン出てきたら、世に出たということ。

「毎日毎日発見があって嬉しい」と思えたら、それはたくさんたくさん宝物を手に入れたことと一緒。それが、大人になっていくことの幸せです。

〈つづく〉