撮影:霜越春樹
田辺聖子さんが6月6日に亡くなられました。半世紀以上、珠玉の小説・エッセイを書き続けてきた田辺さん。『婦人公論』にも、折にふれてご登場いただき、心に響く言葉の数々を残してくださいました。その中で、最後のインタビュー(2012年1月22日号)を再掲します。テーマは「幸せ」。4日目は「人生」についてです。

言葉をいただいて、人生の箱は大きく膨らんだ

おっちゃんが亡くなって、9年になります。思い出そうとしたら思い出せるし、いつもここにいて会っているという感じもするので、とくに会いたいとは思いません。

おっちゃんはおしゃべり好きな男だったうえに、「これもあるか」名人だったので、私に中年男性のものの見方を教えてくれました。今となれば何を教えてもらったのかは一つ一つ定かではありませんが、「こんな名言、私が言うはずはない」と思うようなことがあるとき、それはおっちゃんが昔言ってた言葉だったと思い当たったりするの。

祖父も父もおっちゃんも、いろんな言葉を私に教えてくれました。でも、一度きりしか会わなかった人からもたくさんいい言葉をもらっています。出会った人からいっぱい言葉をいただいて、私の人生の箱は大きく膨らんだのですね。ほんとうに幸せなことです。

最近、私が色紙に書く言葉があります。「ようやったようやったと我が頭なでてやる」というのと、「気張らんとまあぼちぼち行きまひょか」。

色紙に書いてあると、なんと立派な言葉に見えることか(笑)。でも、最後はここに来ざるをえないというのが実感です。体が言うことを聞いてくれなくなって、若いときのように動けないし、若いときにできていたことができなくなるのが、年をとるということ。それが万人に来る老いというものです。

だから、「これができなくなった」「あれもできなくなった」と嘆いてばかりいては身が持ちません。でも、人間よくしたもので、そのうちに、「この体でよし」という気になってくるの。「これでよし」とする気が生まれるのは、きっと神様の愛情ですね。

大震災があり、不況が続く日本です。こんなときこそ、気張らんとまあぼちぼち行きまひょか。