女子学生の存在は「効率的ではない」と考えられていた

防衛庁の中にも、自衛隊の精強さの低下への懸念や学生舎の整備が必要なことなどから、難色を示す声が多く上がっていたという。1990年に防衛庁参事会が防大に発出した通達には、やむにやまれず女子の入校を認めた経緯が窺える。

「防大出身者が全て戦闘職種に就いているわけではない」

「適正規模であれば女性自衛官の活躍を期待できる職域に配置し、自衛隊の精強性を維持することは可能」

「女子への門戸開放の積極的推進という政府の基本方針に則れば、教育投資効率上ある程度のロスは受認すべき問題」

当時、すでに自衛隊に女性が進出しており、優秀な女性幹部が必要だったという背景もあるが、ここでもやはり「戦闘部隊の指揮官」としての女性は想定しておらず、女子学生の存在は「効率的ではない」と考えられていた。

そして1991年、「女性のあらゆる分野への参加が促進されつつあるという社会一般の動向」「婦人自衛官の職域の拡大」「諸外国の士官学校の受け入れの状況」「防大の訓練内容」「自衛隊の精強性の維持が可能」「優秀な人材の確保」といった観点から、女子の入校が正式決定した。

当時は未完成の青年男女が同一建物内で団体生活を送るのは適当ではないとされ、女子学生が住む女子学生舎の建設も望まれていたという。しかし、多額の金銭が必要となることや「女子を特別扱いしない」という方針から、既存の学生舎を改築して対応することになった。