2歳頃の三宅さん。子ども時代から身近にバーベルがあった(写真提供:三宅さん)

重量挙げをしたいと言ったら両親は猛反対

ーー父は1968年のメキシコ五輪重量挙げで銅メダルを獲得した義行さん。伯父は60年のローマ五輪で銀、64年の東京五輪とメキシコ五輪で金メダルの三宅義信さん。兄2人も重量挙げの選手で、次兄は全日本王者に4度輝き、全日本女子監督も務めた。いうなれば重量挙げのサラブレッド家系で育ってきた。


長兄とは12歳、次兄とは10歳離れていて、私が生まれた時は待望の女の子だったらしく、父が病院で万歳していたと母に聞きました(笑)。自宅でピアノ教室を開いていた母は、私を女の子らしく育てたかったようです。いつもフリルのついた洋服を着せられ、髪にはリボン。そしてピカピカのエナメルの靴を履かされていました。そのせいで子どもの頃から外反母趾に。(笑)

母によるピアノのレッスンに、お茶やお花の稽古……。兄たちも年が離れているので、家族みんなに可愛がられて育ちましたね。

そんな私が目覚めたのは、中学3年の時。シドニー五輪を見てスポーツの持つ力に圧倒されました。特に重量挙げ53kg級の仲嘉真理さんを見て、「女性でもこんなことができるんだ」と心を鷲掴みにされて。私もやってみたいと、重量挙げのコーチをしていた父に相談すると、「ダメ」と即答されました。もちろん、母も猛反対。そりゃあそうですよね、ピアニストになってほしいと情熱を傾けてきた娘が、いきなり重量挙げですから。(笑)

でも私は折れません。それまでは両親の期待通りに育ってきましたが、初めて自分で見つけた道なので頑として譲らなかった。すると母は覚悟を決めたようで、居間にあったグランドピアノを貸倉庫に移し、ピアノ教室もやめ、そこを練習場にしてくれたんです。そして朝昼晩と30品目が摂れるよう、食事の面でずっと支えてくれました。

一方、父は当初、本気じゃなかった。どうせすぐ飽きるだろうと様子見の感じでしたが、私がすぐに42.5kgを挙げたのでびっくりしたみたい。その重さは父が高校1年の時に挙げた記録だったそう。