2020年9月、ホームに入居した日。「瑞子と写真を撮って」と言われ、まりさんが撮影した1枚

突然人が変わるわけじゃない

コロナ禍の前に、デイケアに通っていた時期もあるのですが、骨折した腕が回復し、普段の生活が少しずつできるようになると、父はデイケアに行くより、自宅で本を読んだり音楽を聴いたりして過ごすことや、好きな場所に外出することを希望するようになりました。2泊3日のショートステイも試しましたが、1泊しただけで「帰りたい」。

いまはデイケアに通うタイミングではないのかもしれない。それであれば、父の意思を尊重したいと思いました。その頃、父へのお誘いも多く、出かける場所はたくさんあったのです。そんなふうにサポートできたのは、「認知症になったからといって、突然人が変わるわけじゃない。昨日まで生きてきた続きの自分がそこにいるのだ」という思いで、患者さんたちに接してきた父の姿を見ていたからかもしれません。

もちろん、大変なこともたくさんあります。しだいに時間の感覚がなくなってきた父は、朝の6時頃に起きて一人でフラリと喫茶店や床屋さんに出かけてしまうことがありました。当然、お店はまだ開いていませんから、困って道に迷っていたようです。

母から「行方不明!」との電話が入り、冷や汗をかいたことも1度や2度ではありません。捜しに行ったら、横断歩道の真ん中で転んで起き上がれず、たまたま通りかかった方に歩道まで抱きかかえて運んでいただいた、なんていうこともありました。

父と一緒にコンサートに行ったときのことで、改めて認知症の人の目線で考えなければと気づかされたこともあります。

休憩時間に「トイレに行きたい」と父が言ったので、「廊下の右側にあるからね」と伝えて別れたのですが、その後、いくら待っても父が出てこない。慌てて捜したところ、だいぶ離れたところから私を捜して近づいてくる姿を見つけました。父は私が伝えた場所を通り過ぎ、廊下をぐるっと回ってホールの反対側まで行っていたようなのです。

認知症になると短期記憶が失われてしまうのだから、「廊下の右側にあるよ」と伝えても、次の瞬間にその言葉を忘れる可能性がある。視野も狭くなっているため、父にはマークが見えなかったのかもしれません。加えて、足腰が弱って杖をついて歩いている状態だったのに、そのことに配慮せず、言葉だけで伝えたことを私はすごく反省しました。