すべて神様の思し召し
電話も毎日のようにしています。多くは母との会話ですが、時々、父のほうから電話をかけてくることも。そういうときは、何か話したいことがあるというサイン。そう思って一所懸命聞き、私からもどんどん問いかけるようにしています。
先日も父に、「この間話してくれたことをじっくり考えてみたんだけど、こういうこと?」と聞いてみると、父が大喜びして、「考えることは大事だよ」と。こんなふうに父の発言や考えを振り返ってアクションを起こすことで、以前より親子の絆が深まったように感じます。
認知症であることを公表して4年経ち、傍から見ても父の症状は少しずつ進行しています。父自身も、認知症になったことを決して喜んでいるわけではなく、「自分の心と体がどうなっていくのか不安だ」と打ち明けてくれたこともありました。
でも、父はもともとおおらかな性格なうえに、クリスチャン。「なってしまったものは仕方ない。すべて神様の思し召しだから、自分の体験を通して、認知症のありのままを伝えたい」と、現状を受け入れています。
父は20年以上前から、認知症はいままでできていたことがうまくできなくなる《暮らしの障害》だと言っていました。自身が患者になって、どう思うかを聞いてみたところ、「本当にそのとおりだと強く感じているよ。でも、生活はさまざまな人のサポートがあれば、なんとかなるね」と。
ただ、「人との関わり方の見当がうまくつかなくなってくる。これはサポートがあっても難しい。とはいえずっとうまくいかないわけじゃなく、うまくいくときもあって、関わりに奧ゆきが出ることもあるんだよ。だから、何がしたいのか、したくないのかを聞いてほしい」と、話していました。
父の目下の目標は、103歳まで長生きすること。理由は「100歳を超えた老人が、どんな思いで生きているのか、何を残したいと思っているのかを研究したい」から。そのため、100歳以上の方への聞き取り調査もしたい、と前向きです。たとえ認知症になっても、人生の最後まで世の中のために自分ができることをする。そんな父を、これからも応援していきたいと思っています。
1929年愛知県生まれ。東京慈恵会医科大学卒業。社会福祉法人浴風会認知症介護研究・研修東京センター名誉センター長、聖マリアンナ医科大学名誉教授。「痴呆」から「認知症」への名称変更に尽力。97年に神奈川文化賞(医学)受賞、2005年に瑞宝中綬章受章。著書に『ボクはやっと認知症のことがわかった』など