イラスト:星野イクミ
手塩にかけて育て、親友のように暮らした娘。家にいた頃はわかりあえたのに、結婚するとこうも冷たくなれるもの? 埼玉県に住む鹿島景子さん(仮名・64歳)は、妊娠後の娘の体調が心配で何かと気にかけていたが、次第に娘夫婦と距離ができてしまい――

いつもそばにいる娘と親友のように接してきた

娘が第二子の出産を2週間後に控えた5月。この日はマンションのエントランスから出て来るのを待った。娘は深く帽子を被り、私を一瞥するなり「もう私に関わらないで」と言い、封筒を突き付け、3歳の長女が待つ保育園に向かった。私は何も言えず、ただ呆然と彼女の背中を見ていたように思う。母娘の関係が終わった瞬間だった。握りしめた封筒の中にはわが家のスペアキーが入っている。

息子と娘には、3歳からピアノやバイオリン、クラシックバレエ、乗馬などの習い事を小学校卒業まで続けさせた。中学生の頃から世界を旅する夢を持っていた息子は、早々に親離れし、30歳を過ぎた今も海外で働いている。

一方、娘はいつも私のそばにいた。いつしか私は娘というより、親友のような感覚で接していたと思う。中学進学を機に将来について話し合った時のこと。彼女には音大に進学しバイオリンで身をたててほしいと私は望んでいた。だが、バイオリンは趣味として続け、将来はキャリアウーマンになりたいという意思を初めて聞かされたのである。私は受け入れた。

大学3年生の頃は就職活動が思うようにいかず、私がアドバイスしても「私とお母さんでは時代も考え方も違うのよ!」と拒絶された。2社から内定をもらうまでの数週間は口を利いてくれなかったが、ある朝起きると、テーブルの上に娘からの手紙が置いてある。

「どっちの会社に決めたらいいか一緒に考えてください。いつもありがとう」

やっぱり母思いの優しい子だと、手紙を読み涙した。2つの会社の情報を私なりに調べて伝え、それをもとに娘は就職先を決める。勤め始めると、お互いの仕事の話をし、ゴルフや旅行など共に過ごす時間も増え、青春を謳歌しているようで楽しかった。

その後、娘は知り合いから紹介された男性と呆気なく結婚。結婚式で親宛に手紙を読む姿に幼かった頃の娘がよみがえった。小さい頃から透き通るように色白できめの細かい肌、サラサラの髪の毛。風呂上がりの幼い娘の髪のドライヤーかけを夫と取り合いしたっけ。